blog拝啓、雲樹立つ寺より

もう九月

投稿日: 2021.09.07


朱傘の裏側、きれいなものは裏でもきれい

 

どぅも、雲樹寺の副住職、醍醐靖幸です。
ブログの初めにまず挨拶をしろと言われたのが二か月前
ようやく実践出来ました
アホなのかな?

いつの間にやら九月ですね

実感はわきません

学生であれば気が付けば夏休み終わってるくらいのもの
私だったら泣き叫んでますよ、夏休み終わるだなんて

しかし実感とは関係なく時間は進むものです

これを「光陰惜しむべ・・・あっダメだこれもう使ってる(二つ前のブログ)
やべぇよやべぇよ・・・
あっ
そう「一葉落ちて天下の秋を知る」です
こういう禅語で表されるものなんです
危ない危ない

 

 

よし危機は脱したな!!
・・・次は解説か、そうか

でも禅語って難しいんですよね、今更ですけど

イヤ簡単じゃん!って思われた方!それはヤバい
例えば「左」って書かれただけの字に何を思いますか

左は左やろ
左ってことは右か?
右じゃないということでもある
左以外無いという話かも
何に対して左?
そも左の向こうに何が有るの
右ってなんだっけ?

ただの左でこれですよ
これがさらに堂々たる達筆で雄々しく描かれた「左」であればどうでしょう

←例

さらにそれが誰でも知ってる偉いお坊さんの書いたものだとしたら?
もう正気じゃいれませんよ

禅語ってそんなんなんです

じゃあこれ、「一葉落ちて天下の秋を知る」って何なのかですよ

気になりますよね

 

 

その意味とは

「葉っぱが落ちたのを見て秋が来たんだなって事を実感する」って意味です

・・・

・・・

・・・普通ですね

こういうこともあります
でもこれが言葉になる、言葉にするってことの怖さですよね

それとしか見れなくなる
それにしかなれなくなる
だってそう書かれているから

確かにそう、でも、ホントにそう?

禅宗の教えにもある、言葉にするなかれの教えはここに理由が有ります
それですら一端ではありますが
だとしても遺るこの言葉には、では遺ったに足る意味が有るわけです
その意味とは?

「葉っぱが落ちたのを見て秋が来たんだなって事を実感する」って意味です

・・・

・・・?

繰り返してる、繰り返してない?

いやこれでいいんです
繰り返して繰り返して・・・
それで、きちんと自分の言葉にする
ただの言葉で終わらせぬために必要なのは、たぶんこれです

 

 

オチが迷子なんですね

数少ない読者も多分うすうすご存じかと思いますが・・・
考えて書いてるわけではございません

一秒前に思い付いたものが出力されております

だからそう、どこに着地させるか今も決まっていません
というか今そもそも飛んでます?ちゃんと出発してる?
怖い、怖くない?
一番怖いのは私なんですけどね

もう週に一度の運試しですよこんなの

それでも繰り返していけば必ずいい事があると思ってるんです
傍目に見てもダメでダメで、しかし繰り返す中で
速度や質が徐々に上がっていく・・・といいなぁ

・・・徐々に上がっているかどうかは全然わからないながら
繰り返しの事実は有ります

この繰り返しに伴うのは時間
前の私が過去になった証拠に、今の私は前より未来に
そして今の私がいる未来で私が五感で感じるのは
冷たさを得た風と、その風が落とした葉っぱ

なるほど秋が来た

そして私の感じるこの秋は
きっと「一葉落ちて天下の秋を知る」を唱えた方と同じ秋

過ぎ去った時代を生きた誰かの遺した言葉と同じ感覚を得られる私

温度や湿度、体感や土地環境を顧みればそんなわけはないけれども
そうであると思い感じられれば
秋を通じて、私はかつてを生きた人と繋がる事が出来るわけです

であればきっと、私のこの悩みや苦しみをかつて同じように持っていた人間も
たぶん居て
そういうことも感じられれば、生きる糧になるんです

遺った言葉にはそういう意味が有り
意味を感じられるのは他ならぬ私たちのみである

こういう感じでじゃあオチますね

(落下音)

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