blog拝啓、雲樹立つ寺より

月を見ました

投稿日: 2021.09.27


これは月ではなく屋内に入りたがる犬、それと秋っぽい花

 

 

雲樹寺の住職の醍醐ですよ、ですよ

皆様は見ましたか、月
十五夜と中秋の名月が重なって、それは良い月でした

私はホラ学が無いですからね
十五夜も中秋の名月も同じものを指していると思っていました
だって同じくらい・・・九月半ばごろの月って意味じゃないの?
違うんですって

十五夜ってのが旧暦でいう八月十五日
中秋の名月ってのは太陰暦で示される特定のタイミング
これが重なるのが八年ぶりとかなんですって
もう知ってる人の方が多そう

しかし八年に一度か・・・
八年前は何してましたかね、私
・・・修行中だ、修行してますね私
なるほど報道で聞いたことないわけだ、聞けなかったんだ

 

 

でも待ってれば何れ繰り返すっていうんだからいいですね

たぶん八年前も今回の月は凄い!って感じる人はいて
今回も凄いって感じてる私がいて
未来・・・八年後かはよくわかりませんが、その時も多分
誰かがきれいだなって思ってるんでしょうね

ずっと同じ月が有って、同じ月を見て
何年かに一度を有難がるこの感覚は何処から来ているのか

だって月ですからね、ただの月

 

 

一期一会って言葉が有りますが

一期ってのはその時とか一年とかいう単位ではないです
ひと一人の人生の長さ、その一つ分です
長いんでしょうか、短いんでしょうか
人それぞれなんでしょうね

その中でほんの一瞬の出会いである一会を大事にする、という意味のこの言葉
重たく感じますね

でもコレってのは一瞬だから大事って意味ばかりではないんです
一期は繰り返します
だからこそ、一期の後の一期をよくするために今を大事にする
一瞬一瞬でしかない一会を、次の一期を見据えて大事にする
これって凄い・・・凄くない?

我々が結局のところホントにできるかどうか全く分からない
輪廻転生というもの
それが有るとしたうえで見る次
広く大きな視点からものを見る姿勢は求めたいところですが
ちょっと大きすぎるきらいがあるような、ないような

 

 

でも、本当に信じられないものではないはずです

我々が死んだ後の事として思うのではなく
今日のあとの明日として思えば
明日の後の明後日として思えば
あるいは来年、再来年
もっと言えば、また次のオリンピック
あるいはそう、この名月とまた次の名月

知らず知らず、私たちは明日を、次を、信じている
繰り返しを望み、知らず既に臨んでいる
ここは既に繰り返した後なのだとすらいえる

そうすると一期一会も、近しく思えてきませんか?

八年後もまたこの月を、と思える人には
未来を想い今を繋げる心が有る

そう思えませんか

 

 

まあ・・・そんなに深くは無くてもいいんですけども

でもほんとここ最近になってようやくわかってきたというか

絵画とか、詩とか
こういうものに含まれていたのはきっと共感なんじゃないかなって

自然の中に在る全てってのは普遍的な美しさを持っていて
歌や絵っていうのはそれを見た人間の心を形にするもので
遺ったその形が、誰かに同じ美しさを思わせる事が出来れば
それは自分と相手を同じ心の形にすることができたってことで
相手も自分も、違う容姿違う生き方ながら、同じ「心」を持ってるということで

さらには今生きてる自分が死んでも
次の一期において、同じ絵や歌が遺っていて
同じように心が動いたんだとしたら

これって凄いんじゃないですかね!?
やっぱりいいものっていうのは、遺していかなきゃいけませんね!?

 

 

あれ?
何の話してたんでしたっけ・・・?

まあいいや

月、きれいでしたよ
きれいなものっていいよね

なんかそうそう、こういう感じです、つまりは

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