ライブ宣伝のつもり
投稿日: 2021.10.05
ライブのポスター、しかし既に無用の長物となりつつある、おそるべし
雲樹寺活性化プロジェクト第〇弾
音楽ライブ!!
どうも、雲樹寺副住職の醍醐です
えっ、なんですか
初耳ですか
雲樹寺活性化プロジェクト、御存じない
そうですか・・・いやしかしまったく致し方のない事でもあります
こうやって銘打ったのは初めての事ですので
なんだよそれ
いやね、ホント自分ではいつもそのつもりなんです
雲樹寺活性化!ひいては地域の活性化!!
考えてみればずっとこうやっているんです
でもあえて名前つけてシリーズ化みたいにすれば足跡のようにもなるかなって
そう思ったのはいいんですけども数えてはいないんですよね
じゃあ・・・〇にしとくか
いえね!意味がない〇ではないんです!
だってホント陰に日向にいろいろやってきてどこからどうしたらいいのかなって
だからね、今度改めて数える事にします
今度、今度ね・・・
〇
なんでそんないい加減なのかと申しますと
雲樹寺がずっと続いてるからですね
誰が住職してようが、一回燃えてようが、建て直されようが
雲樹寺は雲樹寺だからです
だから活性化!って言っても、じゃあいつ形骸化してたんだよ、とか
え?そもそも活性化の対義語って形骸化でいいの?とか
そういう部分での矛盾もあるんですよね
細かい事ではあるんですが
それに、私の中でのゼロも定まっていない
いつからやってたんだよ
どこから始まったんだよ
そう聞かれると「さぁ・・・?」ってなっちゃう
だからそう、ナンバリングって大事
強いていうんであれば今回のライブはゼロ以前のものになってしまうんじゃないでしょうか
私にとってのゼロは、たぶん私の晋山がちょうどいいと思います
それは来年の4月24日になります
なんでそんなややこしいことするのかと思われるでしょうが、ゼロって大事ですよ
雲樹寺にとって改めての発進をキメることができる、ゼロ
一番多くの人々に認められ、始まるゼロ
創建700年の節目であると同時に、38代目住職就任の節目
逆に、むしろこれがあるからこそゼロをここに持ってくるべきとすら思えます
〇
照顧脚下、という言葉が有ります
雲樹寺の開山、孤峰覚明の遺した言葉です
足元を照らして見よ、という意味の言葉です
しかしその実、見るべきは足元ではなく
足元の置かれた大地であり
またその大地の根幹でもあります
あるいは始まりの瞬間であり、今に繋がる起点であり基点
ゼロです
我々はここから新たに1を刻む
1のあとは2、2のあとは3
これがあと100でも200でも積み上げられていき
それでも残り続けるゼロ
むしろ高みがあり、更なる高みを目指すからこそ
見据えるべきゼロは重要になって来るのではないでしょうか
初心忘るべからず
ここまで言われて尚、我々はそれを見失う
間違ったゼロはゼロたりえず、いとも簡単に積み重ねごと消える
見失われたゼロの上に積みあがるものは空虚、時を待たず崩れる
ゼロが無い場所に1はあり得ない
私が目指すべき場所は、だからこそ、まずはゼロなんです
〇
でも、果たしてゼロの下には何も無いのか?
否、否です
世界で一番有名なゼロであるビッグバンにすら、以前が有りました
たゆたう無数の粒子、混沌としたエネルギーの滞留
それらに比べれば、あるいはわれらの知るゼロなどというものは仮定の点にすぎない
でも、それでいい
お釈迦様の真似をして悟りを目指す我々が、ゼロを模すのもまた然るべきなんです
当然、ゼロの下にあるものも模す
要は積み重ねなんです
積み重ねを一つ一つ、大事にしていく
その中で最も節目に当たるものをたまたまゼロと呼ぶ
どれだけ数字が大きく見えようと、我々は繰り返していくしか出来ぬのです
その繰り返しを形にして、積み重ねにするんです
〇
・・・何の話してたんだっけ
そうですよ、ライブです
レイヤマダ!with大坂孝之助!
11月14日!!
チケット大好評につき売り切れほぼ目前!本当にもう全然ありません!
いまはまだちょっと残ってます!
雲樹寺で形になる新しいハレの日!
お寺らしくない?さもありなん!
しかし・・・これもまた供養!なんですね
人々が願い、磨いてきた行いの最たる部分こそ、供養なんです
今を生きる我々が、今できる事を形にする!
それこそが、何百何千年も前から生き続けている我々人類が!
更に今日を、明日を、生き続けていくことを全身全霊でもって表し!
いままで亡くなってきた全ての命に対して感謝を表明する
これこそが供養であり、純粋な命に触れる最高の機会なんです
今回は、歌!
皆様も一つ、明日を生きる為に新しい形に触れてみませんか
歌以外にもたくさんいいことあるよ!
詳しくはイベントのページで!!