blog拝啓、雲樹立つ寺より

おはなきれい(思考停止)

投稿日: 2021.11.24


雲樹寺の花手水鉢は枯れるまでの期間限定、寒いから長持ち

 

今日、ようやく落ち着きました
雲樹寺の副住職、醍醐です。

何が落ち着いたって、いろいろです
あっちへ行ったりこっちへ行ったりの仕事!
会議に次ぐ会議!
そういった諸々が終わったことによる落ち着きです
やったね

だから月曜更新間に合わなかったのは許して

しかし仕事は終わらない…次は晋山式に向けてのアレコレだ!
ひとまずは大きすぎる御柱こと角塔婆を如何様にして刺すか考えなきゃ
オンバシラァ…(擬音)

 

 

でもまあそれらはいったん置いといて
休憩が必要な時期がすぐそこに来てる!ということで
こちらの写真、いかがでしょう、お花です

花手水鉢ちゃんですね
癒し…

手水鉢に花を入れるから花手水鉢
かんたん

手水鉢ってのは手洗いの為の水鉢です
手を洗うというのは即ち手を清めるということ
何故清めるのか…それはお寺に赴くことが、仏前に会うことが
特別だからというほかない

 

 

そもそも日本は神教の国
数も多く八百万、あらゆるものに神が宿るという考え方
そこに後からやってきた仏教、これら神々への想いと混ざりあい
今に至ると

神様に会うために身を清めるなんてのも、そう考えればおかしな話
あらゆるものに神がいるなら、普段から清く有らねばならぬ
神社に改めて会うからなんて理由で手だけ洗うなんて、もはや滑稽!
でも、そうじゃあない

一生懸命に今を生きることこそ我々の仕事
その生活のそこかしこで、散見される神の姿に感謝するのも、生きているからこそ
だからこそ、その感謝を節目にキチっと形にすることを求めた

手を合わせるだけなら何処でもできる!
それをあえて、きちんとした場所と機会で、きちんとしたものと相対するのを選んだ
これは日本人の中の道徳的観念であり、基本
つまりは普遍的な正しさ

神社とはそのための場所であり、
手水鉢とは、そこへ至る準備のためのいち要素
自身の心を調え、次へ向かうための行いの一つなんですね

手を洗う「だけ」じゃない
この行いは滝行やエステやサウナにも勝る、心をデトックスするための行い!

 

 

でもって話を戻すと、仏もまたそういう類のものですから

つまり、必ずどこかで見守って下さるものですので

だからこその感謝の気持ちを
ギュッと形にするための合掌を
然るべき場所で成すために
まずは手を清めるところから行ってもらう

そのための手水鉢なんだと、そういうお話でした

 

 

そんな話もさておき

花手水鉢ちゃん、きれいですよね
この紅葉が水の下で透けて見えるのホントこう…セクシー!

まあ感想はどうあれ
まずはこのくらいの考えで向き合っていただければいいなぁと
思っております。

瑞塔山 雲樹寺
〒692-0056 島根県安来市清井町281
TEL:0854-22-2875 / FAX:0854-27-0281
参拝時間 8:30〜17:00
※上記以外の時間はお参りは出来ますが、職員の対応はありません。