虹の橋を渡るナイルくん
投稿日: 2021.12.13
いいねこ
ナイルくんはですね、とてもいい猫なんです
お寺にいるからなのか、ここに来る前の経験が良かったからなのか、分かりませんけれども、とてもいい猫
怖かったりうるさかったりするものには近づきません、お寺を爪で傷つけません、庭を壊したりもしません、知らない人にも知ってる人にも怪我なんてさせません
おねだりも控えめ、空気を読みます
なんとなく私たちが忙しそうにしてるのを感じると、ちょっと遠巻きに見守っていて…忙しく無くなった頃にやってきて、ごはんを要求して来ます、お腹が減っても待っててくれるんですね、えらいですね
寝床にも文句を言いません
昼でも夜でも帰って来たい時に帰ってきて、空いてるところで寝ます
夏は涼しい風が通るところを知っているので、そこで寝ます
冬は暖かいところを知っているので、そこで寝ます
人間に触って欲しい時には鳴きながらやってきて、抱っこしてしまうと満足するまで延々抱っこしなければなりませんが、忙しくなりそうな機会が近づくのを察すると、仕方ないなと嫌々どきます
寺と猫を特集した写真集でも言われておりました通り、仏心のようなものを持っていたのかもしれません、猫のことなので分かりませんが
迷い込んできた野良猫とも共存を望んだり、ごはんを分けてあげたり、寺の中でいきすぎた悪さを働くようになると叱ったり、なにか寺っぽい社会性を持ってたように思います
飼い主の贔屓目も十二分にありますが
そんなナイルくんだからこそ、雲樹寺においてシンボルのような扱いができたのかもしれません
インスタの写真に載せたり、ブログに載せたり、だるまにしてみたり…そうすることで多くの人に雲樹寺とナイルくんを知ってもらえました
中にはナイルくん目当てで御来山される方だってありました
しかしナイルくんはこの山内で自由だからこそのナイルくんだったので、会いにきたからと言って会えるわけではないのもまた難しいところ
それでも会えれば幸せになれるなんて噂が流れたのは、ナイルくんならではでしょう
実際に会えて泣いちゃったような方だっていました
そういうものを与えられるような、ありがたさを持ってたんでしょう、出てくるだけで泣かれるなんて、まことに羨ましい猫です
〇
そんなナイルくんが二日前、寺に帰ってきませんでした
よくあることです、一日くらい帰ってこないのは普通です
ちょっと暖かくなって、浮かれたネズミを狩れたからお腹がいっぱいになって、帰ってこないなんてことはよくある話なんです、なにせこの雲樹寺は全部がナイルくんのナワバリですので
きっと知らないうちに帰ってきて、知らないうちに出て行ったのでしょう、木の虚や門の下でゴロ寝していいたのかもしれません、夜に準備しておいたごはんが減っていないのも説明がつきます
ああそういえば、ここ最近忙しかったなぁ、ナイルくんにも餌あげるくらいしかできなくって
最後に抱っこした時は部屋の中で膝の上で寝てくれて、近くにいた寺犬ヒメ子が近くでお座りしながらずっとナイルくんを眺めてたなぁ
あんな調子でヒメ子ともっと仲良くなって欲しいなぁ
とか思いながらその日は午前中ずっと忙しくって、ひと段落してからようやくまだナイルくんが帰ってきてないことを思い出して
午後はナイルくん探すかー、って寺中をうろつきました
ナイルくんはいい子ですからね、呼んで、聞こえたら出てきてくれるんです、物陰からもそもそっと出てきて、かわいい
会えたら抱っこして、ご飯食べれるとこまで連れて帰って、寝るまでなでなでしてやって
でも、ナイルくんはどこにもいません
あー、どこの山で遊んでるのかなぁ、ナイルくんがくつろいでるのをを見たことがある場所はほとんど回ったんだけどな、珍しいこともあるもんだなって
いつ帰ってくるのかなって
そんで少しして暗くなる前に弟がヒメ子の散歩に行って、時間が経って暗くなってきたなって感じたころに当の弟から電話があったんですよ
「ナイルくん見つけた」って
「死んでる」って
〇
正直、そこまで驚きはしませんでした
そうかそうか、と思いました
どこにでも行ける猫だったからな、先に行ったか、と
雨が降った後なのだけが気がかりでした
寒かったのかな、濡れすぎちゃいないかな、タオル持って行かなきゃな
綺麗なままだといいけどな、苦しんでなかったならいいけどな、寂しかったりしたのかな
どうして少しでも気付いてやれなかったかな
雲樹寺の参道からほんの少し離れたところで綺麗なまま遺っていたナイルくんを見て、本当にホッとしました
すっかり冷たくなってしまって、でも抱っこしても濡れた感じはありません、確かにナイルくんの身体で、ナイルくんの匂いもします
ああよかった、本当によかった
きちんと弔える
弔って、お別れをして、ナイルくんが遺したものをしっかりと引き継いで、生きていくことができる
それよりも何よりも
「おかえりだねぇ、ナイルくん」
これを言う事が出来た
帰って来てくれてありがとう、ナイルくん
すっかり柔らかな暖かさは無くなって、これでもかとばかりに鼻先を擦り付けてくることもありませんが、帰ってきてくれて、本当によかった
〇
題名にも書きましたが、虹の橋を渡る、という表現は面白いものですよね
自分で、行くべき場所に行く
そして自分で待っててくれる
私たち禅宗の考え方はと少し似ています
誰かからのお迎えではなく、自分で赴く
その自分っていうのは、自分以外の本当にたくさんに支えられていて
だからこそ、その全部をひっくるめた自分自身で行くべき場所に行く
ナイルくんも同じです
飼い主である私たちや、自然や野生の諸々を以て形作られたナイルくん
そのナイルくん自身が虹の橋を自分から渡っていく
何故見てないのにそんなことが言えるのか?
そんなの、そう信じる事が出来るからに決まってるじゃないですか
私はナイルくんを知ってて、ナイルくんも私を知ってて、もっとたくさんの人がナイルくんを想ってて
誰もがきっと、虹の橋を渡ることを分かって、受け入れて、信じている
ならば、そうなるものなのです
そのうえで、虹の橋の先で待っててくれるとか、帰って来るとか
全部、正しいと思える、許容できる
死後の世界でなく、人の想いを信じているからです
〇
今朝、ナイルくんはきちんと弔われて埋葬されております
元禄の庭園の上の方、植え込みと植え込みの隙間にある岩
そこに乗って、ナイルくんは誰かが来るのを待っていたのをよく覚えていますので、その岩のそばに埋めました
今、ナイルくんは、そこかしこにいます
風呂に入ってる時も、餌をねだっているような気がします
ごはんを食べてる時も、撫でて欲しいと呼ばれている気がします
屋根の上、タイヤのそば、戸口に、いるような気がします
庭から私を、見ているような気がします
いるはずが無いのにいる気がするのは、多分心の中に、きちんとナイルくんがいるからなのでしょう
ナイルくんを忘れるまで、心の中でナイルくんがきちんと溶けるまで、もうちょっとだけよろしくね、ナイルくん