だるま祈願
投稿日: 2022.01.24
祈願だるま(業務用プロ仕様)は雲樹寺でいつでもお求めいただけます、プロって何だよ
祈願しておりました
雲樹寺はそんなに祈願するための諸々を準備しているお寺ではありません
しかし頼まれれば祈願することもあります
ちなみにこの日は雲樹寺から受験生に向けての祈願でした
…ええ、はい、だいぶ遅い話題です
ホントは1/15にこの写真をお出ししたかったのですが、色々バタついて結果失念してしまったのです
でも祈願した事実は届いてるから!
皆様はいわば遠い星の光のように遅れて届いて来たものを目の当たりにしているに過ぎません
みたいな感じでひとつ
祈り願うと書いて祈願と読むわけです
辞書には「祈る」とは即ち「自分の中の神と繋がる為の行い」とあります
えっ神オンリー?
でも大丈夫「神の定理は各宗教による」ですって!
よかった、うちは仏だよ!まあ大差があるわけではないですが
自らの内にあるものは心
心とはつまり、自分自身そのものです
自分というのは、地層のように薄いものが積み重なって出来た塊です
沢山の思い出、記憶や経験、あんなことやこんなことが…まるで機械のように動いて感情や情動を出力していく
機械のようなこれを機械として見ると、心というぼんやりとしたモノよりも遥かに分かりやすい
なんとなく、何をしてくれそうか見えてきます
テレビが映像を映すように、エアコンが気温を調整するように
この心として働く機械もまた…それの持つ機能に従うものなのでしょう
さて、その機能とは…?
これを決めるのが、祈るという行いだと考えます
自身は、どうあるべきか
自身は、どうありたいのか
心から生まれるべき様々なものを吐き出し続ける機械をじっくり見てかんがえねばなりません
うまい具合に操作する方法や、さらにいいものを吐き出させるための工夫、設計思想から運用方法の見直し
祈るとは、この心が出来ることを正しく見極め、この心が行くべき未来の姿を思い描き、そこへ向けて歩き始めるための働きです
そうして向いた先に見える輝かしい未来の自分自身こそ、神や仏と呼ぶに相応しい自分の上位存在であり、祈りを届け願いで繋がるべき相手です
おっと怖い事書いてる感じになったな!
宗教はコレだから恐ろしい…
でも結局のところ我々は理想や夢に向かっていく他無いいきものです
充ても無いものに考えの中でだけ形を与えて、人格まで施すのは昔からのやり方
自分を助けるのは自分であるという事です
助けてくれる誰かが思い浮かんだのであれば、それもまたよし
その方もまた自分自身であり、だからこそ大事にしなければならない
自分を拡げて、感謝の相手を増やせるのであれば、得しかありません
自分だけでなく相手にも得をさせる徳の高い行いは、やがて自身の底上げにも繋がる
結果、修行としてカウントされるのでお得なんですね
何の話をしてたんでしたっけ
とにかくですよ
誰もが持っている未来の素晴らしい自分自身に向けて一緒に祈り願うお手伝いを、雲樹寺でもやっておりますので
気が向いたらどうぞって感じで