生
投稿日: 2022.02.07
この花も生きているがゆえに花びらを散らせる、ほどほどにして
とても個人的かつ限定的な話になってしまうと思うんですが、
生きてるってのは凄い事だと思うんですよ
ホントにそう思ってるんですよ、雲樹寺の醍醐ってのは
でもね…なにぶんにも喋るのが苦手でして、うまく伝えられない
そんな状態をどうにかするためにですね
普通布教講習っていうのに行くんですよ
年に一回やってる住職のお仕事、布教の手段について学ぶ場です
お寺の人の仕事は本来は布教の方なんですよね、一応
私は喋るのうまくなる為に行くんですけど
そしたらまあ、嫌っていうほど学ばされる…
到ってませんねぇ私は!なんとも!
〇
講習会で喋った内容は当然「生きるだけで凄いんだ」ということ
多分いい具合に意味が伝わらなかったろうなって
15分間喋ったんですけどね、難しい…難しいですね…
でも本当に分かってほしい
「そんなの当たり前だろ」っていう表面上の理解じゃなくって
自分の仕事が社会の役に立ってるからとか
自分にしかできないスキルが価値あるものだからとか
所有する財産の量がどうとかではない
生きているだけで意味が有るんだということを
仏教もそれを肯定しているんだと
〇
…いや、私自身も、未だに生きている事自体に疑問を持ってまして
自分自身のですよ!?他の人の事なんてとてもとても
でもどうしてもどこか、何をしていても思い出す
どれだけ誇り高い行いや生活の中に在っても、聞こえるんです
小さい頃に近しい人から言われた、そういう言葉が
何歳になっても思い出せるんです
信じられますか?私もう35ですよ?
なのに年齢1桁の頃に言われた言葉がまだ残ってる!はっきりと!
きっと何年たってもこのままですよ
忘れる事なんてできない
こうなってしまう、こうなり得る!誰もが!
言ってしまう側にも、言われてしまう側にも!
〇
だからこそ、誰もがしっかり生きねばならない
仏教の中には「全部意味なんか無い」とか
あるいは「生きてるだけで苦しい」とか
言葉だけならいくらでもあります
でもこれらの言葉は誰にとっても意味が有る
何故なら、心が感じているからです。
誰もの中に心がある、私にあるなら、貴方にも
であれば生きるというのは、野生の生存競争ではない
相手も自分も、同じように肯定し合いながら生きていく
心を尊重し合いながら生きていく事が大事なんです
自分が大事だと思えるだけ、相手を大事にすることが必要なんです
〇
…みたいなことを
言えてたのか、どうなのか
もっと伝える事が出来るようになりたいと思っている
そんなお話でした
終わりに、「深夜高速」という歌があります
生きていて良かったと思える瞬間を探すという歌です
最後には「生きていて良かった」と繰り返して、終わっていく
彼はその瞬間を見つけたのか、どうなのか
私はあの歌を終わらせることができる人間になりたい
仏教の事を想い続ければ、そうなれるのでしょうか