blog拝啓、雲樹立つ寺より

結婚式(参加する側)

投稿日: 2022.03.06


ご本尊様目線で見る幸せな様子、見てるだけでうれしい

 

この間、仏前結婚式に参加しました。
コロナ禍による延期に次ぐ延期…何年か越しの結婚式です。
私の後輩だったんですけれどもね、素晴らしい事です。いい時間。

結婚式というと当たり前にキリスト教的なものを想像しますよね。
そうすると誰もが神前結婚式だなんていわないかもしれません。
でも実はきちんと仏前…お寺で行う結婚式も有るんです。
それだけでも覚えていってくださいね。

そんな私は雲樹寺の醍醐です。
結婚はしてません。できてないんです。不思議ですね。
…不思議………

 

 

全体の4割くらいお坊さんが占める結婚式ははた目から見ると不思議かもしれません。
言っても全然大したことじゃないんですけどもね
だって単なる人間ですからね。

だからちゃんと結婚式に即した話も出来るんです。

今回、乾杯の音頭ということでお話をしてくださった蔭凉寺様
その内容というのは「婆子焼庵(ばすしょうあん)」というものでした。
こうやって禅語というか仏教の物語を引き合いに出したブログって久しぶり

「昔々、
 最高のお坊さんを育成したい夢を持つお婆さんが
 美しい孫娘と一緒に庵(小さい建物)を作りました

 庵には若い僧を住まわせて
 お婆さんは10年かけて修行させました

 そろそろいいお坊さんになった頃合いか

 お婆さんは10年物のお坊さんを試そうと試みました
 美しい孫娘を庵に送り込んで色仕掛けさせたのです

 お坊さんは言いました
 『枯木倚寒巌 三冬無暖気』(岩にもたれかかった枯れ木のように何も感じない)
 要は何とも思わないと孫娘に言ったのです。
 色仕掛けは失敗したのです。

 お婆さんは泣きました
 『全然いい坊主になってない、修行は失敗だった』

 こうして庵は焼かれました。」

なるほどタイトルでオチを言ってるタイプの物語だったんですね
お坊さん(10年もの)死んでる…死んでない?
っていうかもうちょっとお話し合いしたほうがよくない?

昔話…こと仏教の世界というのは、こういう…
「もっとどうにかできない?」みたいな話が非常に多いです。
むしろ考えさせようとする意味合いが強いので、このくらいの方がいいのかも

 

 

いやこんな話が結婚式の乾杯のタイミングで!?
やっぱ坊主呼ぶの止めよ!神前結婚式しよ!
そう思われた方、あると思います。落ち着いてください。坊主も呼んでください。呼んで。

なんでお婆さんはこんな奇行に走ったのか
そもそもこの人、修行できてたんじゃないのか
お婆さんの望む修行したお坊さんの姿はなんなのか
その理想のお坊さんの答えとは何だったのか
私有地で自ら建設した木製建造物を焼却する事は何の罪(死傷者はいないものとする)に当たるのか。

分からないことだらけですね。
でもそれらしく紐解いてみましょう

実は修行というのは行程なんです、途中なんです。
だから修行中の正しさと、修行を終えたあとの正しさは違う。
そして庵の中で死亡した(未確定)お坊さんの言葉は、修行中のお坊さんとしての理想なのです。
お婆さんが望んだのは修行を終えた完成したお坊さんの言葉…
しかしここには修行気分のお坊さん、つまり完成していないお坊さん…
ガッデム!火を放て!
やっぱりちょっと急すぎるな…
まあ、そのくらい悔しかったってことで。

じゃあ完成してると
『枯木倚寒巌 三冬無暖気』(岩にもたれかかった枯れ木のように何も感じない)
この部分がいいかんじに変わったんでしょうね
どういう雰囲気に変わるべきなのでしょうか、書き表してみましょう

とはいえ私は漢文を作れるほど学が無いので例えていうなら…
「たまらんから抱くわ」
って感じになると思うんですよね

 

 

…いや、そうなんですよ
そういうことなんですよ

修業で得るべき大事なものの一つに、正しく向き合うって要素が有るんです。

お坊さんが無欲に徹して修行する事で分かるべきは、欲というものの際限の無さなのです

だいたい、欲が無くなるってどういう事なんですかってことですよ
突き詰めれば睡眠食欲性欲が消え去るということでしょうか
これが実現した時、その人間はきちんと人間してるのでしょうか
もうそれは違うものだと思われます。

人間というのは、欲ありきです。
どうしたって逃れるすべは有りません。
しかし、だからこそ受け入れ、きちんと制御できるとすると?

理性を無くして暴走するのが正しいわけでは断じて無い
理性あるつもりでそれらが無いかのように振舞うのは嘘に執着していると言える

正しい在り方とは
自身の居る場所や立場を把握し、人と人との距離感を正しく捉え、
隠すべきものを見せず、出すべきものを見せ、
足りぬものを足し、要らぬものを捨てる。
中庸に身を置く。
これができるものの事を、真に完成した人間と呼べる。
それが仏教によって得られたのであれば、僧侶としての鑑であると言える。

お婆さんは、自然で素敵な一人の人間の男を、自分の信じる仏教によって生み出したかったのです。
あるいは…理想的に育ったお孫さんの為でもあったのかもしれません

 

 

これが犯行の動機です、裁判長。

結果としてお婆さんは感情に身を任せ正しくいない行いに狂いました。
しかしその全てとは言いませんが、行いのそこかしこに自分ではない誰かの為もあった。
だからこそお婆さんは、自分の為だけでなかったからこそ、怒ることが出来たのではないでしょうか。
そして、そうなった自分自身を理解しているからこそ、今は反省に身を置いているんです。
この物語は人間が人間であり、仏教が仏教である限り、子々孫々伝わっていきます。
誰かがこの話を見て悟りとは、修業とは何かを想うことができる!
お婆さんの行いが殺害ありきの単なる犯罪でなく、10年の歳月を費やしたお婆さんなりの信心だったからこそです
心を見て、行いを見て、考えることが出来る法の番「人」だからこその裁量を…お願い致します!

…いやでもお坊さん死んでるからダメかもしれん…

 

 

 

何の話でしたっけ

 

あっ、結婚式ですよ
そうそう、つまりですね、えーとですね

お坊さんの結婚っていいのー?に対するアンサー
人間が人間やめられるわけ無いんだからいいんだよ仏教も昔からそう言ってる
というお話だったっというわけです結婚おめでとう!ヒュー!以上!乾杯!
幸せだろ?飲めよ…

そういうのを聞いたので書いてみたってわけです。

そんで、上記の理由により私も結婚したいと改めて思えたわけです。
ああ結婚したい。

瑞塔山 雲樹寺
〒692-0056 島根県安来市清井町281
TEL:0854-22-2875 / FAX:0854-27-0281
参拝時間 8:30〜17:00
※上記以外の時間はお参りは出来ますが、職員の対応はありません。