勅使門は開かぬ門
投稿日: 2022.04.11
いえ別に普通に開きますけど…
開くの!!??
驚いているのは私こと雲樹寺の住職、醍醐です。
そう、この間ついに辞令が下りてようやく住職となりました。
まあ変わる事があるとすれば表向きの表記くらいなんですけど
さてこちらの門、勅使門と言います
雲樹寺は勅願寺でもあります
天皇家とやりとりをしていたお寺であるというものです
直接に天皇様がやってくるわけではありません
勅令を持ってやって来る勅使、使いの者がおりまして
そういう方がくぐるのがこの門、勅使門なんですね
それでこの門、なにせそういう用途ですので、普段は開けてません
勿論、上記の理由で開かれることは多分もうありません
しかし今回は晋山式
私という僧侶を招き入れるという工程を演出する必要があります
であれば大事な門を開ける事も必要なのですね
で、そもそも開くの?
ってところですよ
最期に開いたのはざっと二十年前
皆さんの家に二十年間完全にほったらかしの物ってあります?
当山にはあります、この門がそうです
ホントはもっとほったらかしになってるものもありますがそれはさておき
もし開かなければ…
もし開いたとして壊れれば…
実は最初っから壊れてたりして…
そういう不安から開ける勇気が出ず、ずっと手つかずでしたが
意外とあっさり、何の抵抗もなく開きました
〇
開くの!!??
という驚きに帰ってくるわけです
驚きこそしますが有難い、ホントよかったよかった
安心より先に驚きが来てしまうのが、実に未熟な感じですよね、我ながら
やってみると意外と
思ったよりも簡単に
身構えてたほどでは
それに対する思いが連なり強まるほど、こういうことは有りがちです
事実は一つしかないのに、それを観測する自身が事実を捻じ曲げる
心が、心の外にあるものを歪める
事実はただ変わらないというのに
押せば門は開くというのに
物事のひとつひとつを、そうやってきちんととらえて、対応する
これだけの行いに、本来は迷いや憂いなど一切必要ない
なのにどこか…誤ってしまう
〇
晋山式も、今回沢山の準備が要り様です
あれが出来てない、これがない
全く面妖なものです
本当は私の身一つあればいいはずなのに
しかし、この身にふさわしくないほど大きくなってしまった晋山式も
いざ門を押せば開くように
終わってみれば、ただ風が吹いた後のように
涼やかであればいいなぁと、想っています。