次へ向けて
投稿日: 2022.05.01
ふすま好きな人、ではない、それだけではない
皆さんは複数の大きな仕事に向けて動いていく事が出来ますでしょうか
私は無理です
今回そのことを嫌というほど痛感しました
そんな雲樹寺住職、醍醐です
まだ法的手続きは終わっていません
4月24日の片付けだけで連休に突入してしまいましたからね…
今はただ連休終わって直ぐに動けるよう祈るばかり
後回しにしているわけでは無く…本当に体が足りていないんです
どうか許して法務局
〇
さて、4月24日の次と言えば5月29日ですね
そう、雲樹寺を会場にして行われる世界平和祈願祭です
先週までの多忙さに拍車をかけたのが次に控えているこの行事です
どちらが大事ではなく、どちらも大事なのは大前提
だからこそ大変なのです…
しかし最早片方は終わってしまいましたので!
って言えたらいいのですけれど
これから先は儀式のあとしまつ…お礼参りというものです
当然これも大事なんです
相手は多数かつ他県をまたぎますので、大変です
そもそもよく見たら全然時間がない、これはやばい
これは…やばい…
〇
やばいですが時は進みますので、やる事をやるだけです
写真はその一端です
雲樹寺で行われる世界平和祈願祭
これもまた誰にとっても楽しめて、心に残るものにしたいと思っています
さらに言えば、後から来た人たちもこれを感じられるものにしたいんです
神職の方々が行う平和への祈り
住職の方々が行う平和への祈り
そして、おいでいただいた皆様にとっての平和への祈り
これらを共感できちんと繋ぎ、形作る為の工夫が必須であると考えました
そういうものであれば、後に残っても意味や価値があると思えました
その場にいなかった人も、後でその場にいたときのように共感できるわけです
例えばどんな形のものがいいのでしょう
工芸品でしょうか、石彫りや木彫りの何か
もしくは音楽、照明などで作る演出された空間
建造物、自然物でもいいかもしれません
私はそれらは、どうも違うと思いました、なんとなくですけど
違う理由は…
なんでですかね…
でも上記に挙げた全部は、その祈願の場と若干離れていく気がして…
祈願の場と同時に発生させることができて、そのまま残り続けるような
祈りの瞬間を瞬間凍結で保存させ続けるような、というよりは
同じ場所からどれだけ時間が経とうと同じだけ広がれるような
そういう手段でかつ、仏教的な由来付けができるようなもの
それがあったんです
…いや私がそうだと勝手に言っているだけですけど
〇
もう調べればわかる事なんですけども
その手段とは、書道パフォーマンスです
この言い方で正しいのかどうかはわかりませんが
そういうことをしてもらいます
雲樹寺本堂のふすまに、平和の祈りを描いていただくんです
平和を祈願しているその式の時に
きっとですけど、これ以上なくいいものができるんじゃないでしょうか
正直、そういった作品に対する知識があるわけでは無いです
どんなものができるか、聞いても無いです、色合いくらいしか知りません
でもそう思えるんです
もうこの件については、既に平和であると言えます
祈願するまでもなく
ちょっと何言ってるかわかんなくなってきました
しかし私にとってはもう楽しみでしかないのです
4月24日以上に辛く苦しい道のりにはならないと思いますので…
そうすると最早、楽しみしか感じられません
有難いですね
皆様も是非、楽しみにしてやってください