blog拝啓、雲樹立つ寺より

まだ繁忙期してる

投稿日: 2022.08.16


雨と晴れの交わる様子、ぱっと見美しく見える…死者の国と生者の国の交わりも、こんな感じ?

 

口で言う「忙しい」は信用度低めだそうです
忙しさとはそういう事を口にする事すら許さない状況だとか
口にできている間は大したことないとか
いろんな説があります

でも忙しいんだからどうしようもないですよねぇ!
そうやって慌ただしくしている雲樹寺の住職です

今日もスケジュール確認して忙しい事を確認してから「忙しい」と唱え
唱え飽きてから仕事を始めます
最近はそれにも飽きて無言で仕事をします
あれ…じゃあ忙しいを口にできない忙しさって事になりますねぇ!

 

 

忙しい忙しいとは言いますが、なにせお盆ですから
仕方ないですね、お盆ですからね

お盆っていうのは何なんでしょうね
ここまで忙しいと、人生の割と早い段階で「なんで?」が出てきます
忙しさの原因究明、追及…大事な事です
最初に調べたのは何時であったか…

実はお盆って略語です
なんでも略すのは良くないと若者に指摘しがちな我々ですが、しっかりと流行語作っちゃってるわけです
1300年くらい流行してますからね、お盆
正確には「盂蘭盆会(うらぼんえ)」といいます

そんで今ちょっと念のために調べたんですけど
前とは違う説が出てたり研究が進んでるみたいですね

「盂蘭」が「オーラナ」というお坊さんにお供えするモリモリごはんを指し
「盆」はそのまま「ボン」という入れ物の事を指す
つまり「盂蘭盆会」とはモリモリごはんお供え会であるというわけです
「盆(ボン)」は共通語だった…?というより単にその役割を持つ器がそういう名前らしいです

昔、お釈迦様が生きておられた頃
お釈迦様の弟子、目連尊者が「自分の母親が地獄に居る」と嘆いていたそうです
目連尊者を立派に育てる為にいろんなことをされていたのでしょうね…
「母を救うために弟子全員に食事を振舞えば、その母にも施しの一端が得られる」
というお釈迦様の言葉もあって、さっそく実行する目連尊者
お母さんが居たのは「餓鬼道」、自分ではご飯を食べられない罰を受ける地獄…
しかし他人に与えられたものを口にできれば救われる、そんな地獄
目連尊者が修行者に行った施しによる喜びと感謝は、巡り廻って目連尊者の母まで届き
そうして餓鬼道から救われ、仏様に成れたんだとか

この伝説が始まりだそうです

 

 

…いや食べ物もらえてなくない?

違うんですよ!!!!!

餓鬼っていうのは…いろんなのがいるんですよ!
っていうかそこじゃなくって
必要なのは食べ物では無く、それを戴けたことへの感謝の想いや有難さであって
そしてこういった気持ちの良さは、人から人へと廻るんです
すると、やがて見えもしないような世界にも届くんです
心からの感謝、まっとうな心の働きは、どこかで誰かを救いうるんです
っていう話なんです

むしろそういうものを「当たり前」として感謝もしない人間は餓鬼と同じですよって
何処か何か感謝を改める機会を持とうね!ってお話でもあるんです

だからモリモリご飯をお供えするんですね

そして餓鬼に対する施し、救いを与えるという善行を功徳にして
ご先祖様をきちんとお迎えする、と

 

 

さて今日はお盆の発祥についてのお話でした

こうやって今まで続いてくる仏教の逸話の中には「偽經」なんて呼ばれるものも有ります
つまり事実でない、お釈迦様の遺したものではない、という扱いのものなのですが
上記のお話もまた、そう呼ばれる類と考えられているようです

でも、だから価値が無いわけでは全くありません

今でも信じられている仏教の教えの多くは、誰かへの感謝につなげるためだからです
現在、自分と同じ今を生きる沢山の人々も
過去、もういなくなってしまった人々も
未来、自分と同じ時にいないかもしれない人々も
全て間違いなく生きて、生きていく人間であるからこそ
繋ぎ繋がっていく命に感謝をしていくことこそ、人に伝わる仏教の主題ですので
大事なことを伝える為の風習と、元となるお経
どちらも有難いものとして、受け入れ、受け継いでいくべきであると考えています

 

…それで、どうしてお盆は忙しいんでしたっけ

まあいいか今年のお盆は終わったし
次は子供座禅会や地域のお祭が待ってますからね!忙しい!!

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