blog拝啓、雲樹立つ寺より

11月27日(日)午後二時半より

投稿日: 2022.10.02


托鉢のチラシ、近所のいろんなところにお配りする予定

 

托鉢をします
托鉢を、します
雲樹寺の住職こと醍醐と、如水会というところでやります

托鉢するぞするぞするぞ

そういえば
そもそも托鉢ってご存じですか

知らない方もあるんじゃないでしょうか
昔はそこらじゅうでやってた・・・のかもしれませんが、最近はめっきりご無沙汰
皆様もそんなに見たことない方があられるかも

雲樹寺でも明治時代の警察?みたいなところからもらった許可証?
みたいなものがあるだけです
木札!筆文字!手書き!
それはそれで価値がありそう・・・実効性だけ無い

まるでアレみたいですね
って感じで「昔はあったけど今は無いもの」を例えようと思ったのですが
うまい具合に例を思いつきませんでした
中国の自転車で通勤する人みたいですね!ってのがせいぜいでした
なんかちょっと違う気がする・・・適して無い気がする・・・
まあそれは別にいいんですけども

 

 

托鉢とは!!!!

仏教やジャイナ教を含む古代インド宗教の出家者の修行形態の1つで、
信者の家々を巡り、生活に必要な最低限の食糧などを乞う行い
です!!!!!!

お分かりになりましたでしょうか

日本仏教、禅宗においては、お坊さんが列を成して歩き回る形に成ります
行列あるいは単独で、「ホ~、ほ~」と言いながら動くんですね
あるいはとおりすがる一軒一軒の前でお経をお唱えするパターンもありますが
今回は前者です

なんでそんなことをするのかと言いますと
私たちも人間だからなんですね

つまり最低限でも飲み食いや着るものが必要であるということ
そういったものすら恵んでもらう必要があるんです、本来は
私たちは仏教修行というものに身を投じきっているからなんですね
修業に一生懸命だからお願いしますね!というスタイル

ちょっと大丈夫なのそれ、と思われるかもしれません
私もそうでした、なにそれアリなの?

でもそういう生活の中に在ればこそ、見えるものが在る・・・
これはホントにそうなんです
お釈迦様みたいに千里眼あるんならまだしも、私たちは私たちだけですので
いやせんでも分かるやろ・・・ということも、実際にやってみる他無いのです

そうして得られる感覚は・・・
生かされてるなぁ、というものです

何かを作るでも生みだすでもなく、ただ学ぶために事を運ぶ人間たち
そんなものでも、恵まれながら生きることができる
優しい人々によって生きている
いや、生かされている

私がどれだけ命を憎んでも、自然とこの身体は呼吸し鼓動する
飢えようとも有難い人々によって助けられ、心すらも救われる
有難くも、生かされている

私たちは命すらも、自身でないものらによって駆動させている
なればこの命は、だれのためのもの?
考えるのを辞めてる場合ではありませんね、みたいな

その認識が正しいのかどうかはわかりませんが、
当たり前に食べ飲み来て住む中に、別の視点が生まれるのは大事な事と思います

 

 

だから「ほ~ほ~」というんですね

上のお手紙には「法雨法雨」と言っているのだと書いていますが
この知識は後付けでして、はい私の思ってたのと違ってまして
そんでそれで文章作った方が聞こえがよさそうだったので
お手紙の方は新しい知識で作りました

私は「法~法~」と言っていると思ってたんです

「法」とは「存在」ひいては「存在の方法=摂理」というものでして
これを述べながら歩くというのは
「俺はここにいるぞ!」というのを言って回ってるんだと解釈してたんですよね
要するに赤ちゃんが泣いてるのと同じようなものという気持ちで・・・
そのくらい純粋な気持ちだからこそ、人々が御恵みをくださるのだ、みたいな
こういう風に考えたりしていました
じぶんかってなかんがえだな・・・

 

 

まあ解釈はどうあれ
托鉢をとにかく行うのですが

じゃあ我々の糧にするために托鉢するのかっていうとそうじゃないです
ややこしい・・・今までした話はなんだったんだよ!
でも聞いてください
私は確かに糧のため、と言いましたが、それで終わる話では無いのです、本来は

我々が生かされるということは、誰かを救う助けになるという事です
少なくとも、そのつもりで今日を生き明日に向かうつもりです
そうすると今日を生きる為の糧は、明日の誰かの為に成る
明日の誰かはそのおかげで、また別の誰かを助ける筈なのです

托鉢でいただけるものというのは、
あるいはそれに限らず、供物や贈り物というのは
広い社会の大きい輪と輪を繋ぐ、きっかけの一つなんです
何のためにもならないものなんて、ポイ捨てくらいのものです

我々が今回行う托鉢でいただけるものは、
全部寄付します
社会福祉のためだったり、海外の大変な所の為に
一足飛びに成りますが、社会の為にするために
そういうことをします

ですので、是非皆様にも安心してご参加いただきたい

 

 

・・・参加?

不穏な事はありません
何も皆様にも10キロの道のりを歩いてほしいわけではありません

私たちは家から家に歩いて回りますので、
この僧侶たちに小銭で構いませんので、すこしずつ恵んでいただきたいのです
私たちは法雨を唱えながら歩き回る事しかできません
だから皆様には、お気持ちを分けていただきたいのです
そればかりは協力をお願いする他無いのです

皆様の幸せを祈る実践業を、必ず形にいたします
どうかお手助けを宜しくお願い致します

 

 

ちなみに我々が歩き回るのは
11月27日(日)午後二時半から

宇賀荘小学校の校区と、島田小学校の校区あたりを回ります
それと野方

おいウチには来ないのかよ!と思われた方
申し訳ございません!!
何分にも時間との兼ね合いで御座いまして
よければ・・・最寄りの地域まで・・・近づいてきてもらって・・・
お願い致します!!

到らぬところもありながら、一部の地域の方々には特別にお手伝いいただきながら
どうにか托鉢、させていただきます
どうぞよろしくお願い致します

瑞塔山 雲樹寺
〒692-0056 島根県安来市清井町281
TEL:0854-22-2875 / FAX:0854-27-0281
参拝時間 8:30〜17:00
※上記以外の時間はお参りは出来ますが、職員の対応はありません。