10年ぶりの大雪の週
投稿日: 2023.01.30
未だ降り積もる血も涙もない氷のように冷血な雪…冷たい奴だなお前は
さて、みなさまは如何お過ごしでしょうか
私?
私こと雲樹寺住職の醍醐はというと
雪かきです
雪かきをして過ごしております
喜んではおりません
しかしやらねばならぬのでやっております
人はいかに怠けていようとも避けようとしても
どうにもならない問題にぶち当たる事が有ります
例えばそう
1月の最終日曜日に総会を行う雲樹寺に大雪が降ったなどと在っては
どうしたって雪かきをせねばならぬのです
もう…3日ぐらいずっと雪を掻き続けております…
しかし泣いてはいられません、せねばなりません
せねば
せねば…
〇
「一鏃三関を破る」(いちぞくさんかんをやぶる)
という言葉が有ります
一鏃、という言葉を知らぬ方は多いと思います
これは矢の先、やじり、あの尖ったところです
矢のように鋭い意志の力が、
誰の心にも在る3つの常識の壁を打ち砕き、
その底にある「悟り」に辿り着く
そういう意味の言葉です
この時の矢は、意志と称しましたが確かにそれも正しくはあるのです
しかし意志は何によって指向性を持ちうるのか
私はこれが、ある種の欲であっても構わないと思っています
宇宙に行くようなロケット、あるじゃないですか
ああいうのは爆発的な推進力の維持によって飛ぶわけですが
当然、それはひとつだけの力で生まれるパワーではありません
第1ブースター出力停止、排出…続いて第2ブースター出力開始…
みたいな字面、かっこいいですよね
一鏃こと矢もそのように、複数の理由で飛べばいいと思うんです
最初は軽はずみな欲で、次は崇高な気持ちに向かいたがる欲で
そして最後は、それらを超えた日常の中から生まれるきっかけから
徐々に、三関を破ればいいんです
そりゃ理想は、一瞬で破って欲しいですけども
〇
私はこの「鏃」っていうのを鍬(くわ)だと思っていました
字がね…ごちゃっとしててね…
でも、こう勘違いする理由もまたあったんです
雲樹寺の開山さま「孤峰覚明禅師」の弟子
…とされる方の仕事に「青の洞門」というものがあります
なんでちょっと微妙な言い方かというと、私が裏取りできてないからなのです
禅海和尚という方が主役のこの話は250年前、
孤峰覚明は700年前なんですよね
宗派の違いは些細だとしても、弟子云々はどうなのか
いやそれも孫弟子とか孤峰覚明の法脈かもしれぬのですが
ううん…
話を戻すとこの禅海和尚、ノミと鎚だけで山を削ったのです
そうしてできたのが洞門つまりトンネル
「青」はどうも地域の名前なんだとか
なぜそれほどのことを、と思いますが
歩く人や馬の事を想って、便利だろうと考えての事だそうです
でもそれは、欲なんです
誰かを助けたいと思う事
誰かの為にと動く事
これは、それらへの執着であり欲なんです
仏教ってそういうとこあるよね…
無限に厳しい事言い続けるのやめろ、やめて
しかし、果たしてそれだけで山に穴を開けられますでしょうか
トンネル出来ますでしょうか
実際、ノミと鎚だけでなく最終的には大名の力と人足もあったらしいですが
つまるところ、行いです
欲からであっても、何かもっと別のものであっても
誰かから見て崇高に感じられた行いが、心を動かし、人を導いた
そしてトンネルは開いた
今もそれは遺っています
後年の誰もが言えるのではないでしょうか
「禅海和尚は悟っていたに違いない」
事実かどうかはわかりません
でも、それでいいのではないでしょうか
禅海和尚にとっての鏃は、ノミと鎚
あるいは、それを振るう姿や支えてくれる人々であったのです
そして、三関は破られていたと
〇
今の私にとっての鏃は、雪かき用のプラ製スコップです
あるいは決算書と予算書
各種資料
余ったお弁当
しかしそれすらも最早いらない!
雪かきは総会参加の皆様の御蔭で済み!
総会は既に終わりました!
更に言えば今日以降はしばらく雪も積もりません!
大変だった一月末もおしまい!
次は四月の開山忌をどうするかに悩むくらいです!
私にとってのトンネルは…別に開いてるわけではないですが
仮に開いているのだとすれば、次の山に行かなくてはなりません
開いていないのだとすれば、鏃の為に成る行いをせねばなりません
今日はたまたま雪かきと総会が必要だっただけの事
明日は明日に必要なものを握ります
…もうしばらくスコップは握りたくないですけど