blog拝啓、雲樹立つ寺より

おひなさまと犬

投稿日: 2023.03.05


ひな祭り楽しいですワン(野太い声でのアフレコ)

 

3月3日は!女の子のお祭り!
雲樹寺で女の子と言えばそう、ひめこ(犬)ですね
いかがでしょう、当山が誇る若い女性らしさを思うさま発信しています
・・・なんだこのおじさんみたいな顔!?

犬にも表情筋というか、人間の顔を真似ようとしている意思があるそうです
何世代にもわたって人間にとっての良い表情を追及してるんだとか
そうしたいと願う犬という種族の健気さを感じますね

・・・とすると、ひめこのこの表情は
あるいは、野良だったドッグにも本能的に宿る、人間への愛の顕れでしょうか
だったら顔をネタにするのも失礼ですね!
ありがとうひめこ、大事なことを思い出させてくれて

そう私は雲樹寺住職の醍醐
たとえそのようなモノでなかったとしても
愛するドッグを悪く言う暇など無いのです

それで、じゃあ何の話しましょうか
ひな祭りの話って前したような気がするんですよね・・・
もうブログとインスタで書いた事の内容をきちんと把握できない
そうだ!じゃあウチの人形供養の話しよう!!

このライブ感
そう私は書きながら書くことを探すタイプなのです

 

 

当山における人形供養とは!
と言っても特殊な点はそう大きくないのですが
依頼を受けて、人形を相手にお経を唱え、人形を回収するんです
普通ですね

それでこの後、普通であれば所謂「お焚き上げ」をしたり
とにかく何かしらの手段で以て処分を行うのですが
当山はこれをしないんですね
個性を出していく
意識してるわけでもないけど

供養を終え、役目を終えた人形
これを・・・再度飾る!
ひな人形であればひな祭りの時に!
木彫りのクマやぬいぐるみであれば、適度なタイミングで!
供養の後も、使えるだけ使う!
これが普通じゃない点です。他はどうかよく知りませんが・・・

 

 

供養とは何かを、常々考えているんです
意外と

どうすれば、より供養の意味を伝えられるか
どうすれば、今を生きる人々が供養に前向きになれるか

そもそもですねぇ!供養っていうのが後ろ向きなイメージすぎる!
やれ亡くなってしまった方へのエンドレスお別れセレモニーだとか
やれ知らぬ誰かの死をわざわざ嘆くセルフ悲しみループだとか
そういう側面もあるけれど、そればかりでは無いのです
是非とも分かって欲しい

だいたい、人形の死とはなんでしょうか

まるで生きているように作られているものの、生きてはいない
死ぬ事も無い
であれば人形供養などと言って、いったい何に対してなのか
もしかして・・・殺す(捨てる)前の罪滅ぼし?
だとしたらひどい話じゃないですか!?本気!?
「人間とは残酷なもの」とは言いますが
わざわざ残酷さを作って演出する事も無いでしょう

供養っていうのは、感謝を伝える方法ですからね!

死の悲しみを得るのも、生きているからこその喜び!
死を想い、ひいては、かつて死した者たちへの感謝を感じねばならんのです!
悲しみは意味の半分だけのものです
ご先祖様の死を悼むだけの時間だったら、そりゃ要りませんよねぇ

じゃあ人形供養は何かっていうと
これもやはり感謝でしょう

今まで人間の都合によってヒトガタの姿を与えられ
人間の身代わり、依り代として頑張ってくれた
その働きに敬意と感謝を施して、役目を終えてもらう
・・・そもそも無機物に人の姿を取らせるっていうのが業が深い
何故そのような事をする必要があったのか?
この意味を顧みれば、やはり御礼だって言わねばなりません

そして、そう思えば全然悲しくない
お疲れ様、有難う、またね
実に人間らしいのではありませんでしょうか
やってる事や意味は大して変わりませんが、自身の糧になる
心の糧になるんです

 

 

それで、糧にした後ですけども
はい、雲樹寺ではそのまま活用します

なんかこっちの方が残酷な気がしますね
写真に在るひな人形も、実は2セット飾ってあります
絶賛、再利用中なんですね

だってほら、そう、上で言ってた人形の死って何かというものです
私はそれを、役目の死では無いかと思うのです
そのご家族の元で、仕事を終える
人間であればそれは死そのものとイコールであると言えます
生きてる限り、家族という役割を果たし続けることができる、良くも悪くも
しかし人形はどうでしょうか
様々な理由で、要はクビになってしまうわけです

でも、クビなだけです、姿も形も健在
なら、役目は無くなったとしても出来る事は間違いなくあるんです
雲樹寺であれば、その役目を果たしていけます

これも、供養だと思っています

人間の場合は、仕事を終える事と死がイコールであると言いましたが
その後もたびたび続く供養は、この死を経て別の役割の為です
いわば、家族から仏様というものになったが故の仕事
仏様相手だから、生前と違う形・・・供養でアクセスする必要があるというだけの事

人形は、死後も役目が変わらないからこそ、仕事ができる
だから、変わらず接することができる

人間が仏様として生きるように
人形もまた、そのように生きていく

これが、当山のいう所の人形供養の形です
ご理解ください
ね。

瑞塔山 雲樹寺
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