blog拝啓、雲樹立つ寺より

コレっていうのを忘れる

投稿日: 2021.07.05


雲樹寺の誇る睡蓮ちゃん、午前中だけ働く

 

 

この季節は雨の季節でもありますが、格闘の季節でもあります

雨との格闘…
そして、ツツジとサツキとの格闘です
つまり剪定というわけです
いわば自然と人間の戦争です

負けへんで

梅雨の末期である今は、サツキが相手です
ついでにクチナシやその他いろいろもあります

雲樹寺はどっちかというとツツジが多いです
ツツジの相手が第一次、サツキとその他連合軍が第二次ですね

負けへんぞ

 

 

半ば崖のようになった斜面
立ち並ぶ果てしない植木の群れ
なんだか鬱蒼としてしまった各所
強い日差し

全てが敵…敵です

雲樹寺の剪定における主力は原動機付きバリカン
しかし去年に引き続き不調も不調
ゆえに今回は電動バリカンを以てお相手いたす

戦いはおおよそ五日間
日中の全てを費やしての剪定
時には尊い犠牲(誤って切断した延長コード)を払い
戦いはようやく終わりました

………9割くらい

いやもうほとんど終わったみたいなものですよ
あとはもうコード届かないんです
部品さえ届けば原動機付きバリカンくんですぐにでも終わらせます
となればもう終わっているも同然…
すなわち終わりです

あとは剪定クズの後片付けと草むしりと泥すくいと
終わり…?
終わりってなんだ…?

 

 

しかし庭が敵とか言いましたが敵じゃないです
言葉のあやというやつです
ほんとほんと

庭とは自然の領域と人間の領域の国境線です
宇宙から見た地球には国境線が無いと聞きますが、まあ例えですので…

そもそも線は二次元のもの、あえて見えるようになっているだけ
国境線だって地図の上だからこそ、厚みが無いから見えもしないんです
しかし寺にはあります、明確ながら明確でないライン

それが庭園なんです

寺における庭とは、寺の持つ仏教世界の表現です
人間が描くものですので、人間のもの
しかし、仏教の描く世界は自然の循環の中にある人間の有るべき教え
であれば、人間のものでありながら…それは自然そのものなんです

つまり…どういうこと?

ジレンマしてる…ジレンマしてますよね
矛盾です

 

 

思うに
庭は、自然のあるべき姿に人間の願いを足したものです

はい、私が勝手に言ってるだけなので真に受けすぎないように
だからもうちょっと勝手に言ってますね

仏教庭園を構成するすべては意味の上に在ります
こうなれますように、このようにあれますように
願いを願うその様が、ずっと長く続きますように
こういった感情が自然の中に刻み込まれているものが、庭園なんです
勿論、もう見えなくなってしまった人々の願いを含むものです
あるいは、もはやその内容すら忘れられてしまった願いすらある
しかしずっとこの場に庭園という形は遺り続ける

願いが無くなった跡すらも遺るのであれば
無くなったものすら積み上げた形が庭園になるのであれば
人が自然の中に、大きな循環の中に在り続ける事ができることの
証明になるのでは

天国や地獄が科学的に証明できずとも
とうの昔に我々は行きつくべき場所を知っていたと
そういうことになるのでは?

みたいなことを想うわけです

おお…これは自然is敵とか言ってる場合じゃねぇな!?

 

 

でも敵です

 

庭園を形作るのは自然…しかし崩すのもまた自然なのです
自然そのものと、それに描いた人の願い、維持するのは、わたくし

要はバランスなのです、調和こそ美しい
あっちがわさわさ、こっちがわさわさ
それをしていい場所はあっち
こっちは…こうじゃ!(適度な切断)

守るべきもの、形がしっかりと在ることは幸いなのです
こうやって形のある物の中に確かに存在する見えないものがある

私なんかホント…楽なものです
こんなに分かりやすく先人の教えがここにはある
いつだって多くの人々に助けてもらっている
もっとたくさんの見えないものを探して、世間の人々は頑張っておられるというのに

このような仕事は早く終わらせて、もっと雲樹寺をよくする方法を考えねば
もっと、もっと人々の役に立てるようにならねば

だからとっとと刈るのじゃぁ!!
ぬあああああ剪定クズ一瞬で溶けて肥料とかになれええええ!!!!!
雑草全部食べられる草とかになれええええ!!!!!

 

瑞塔山 雲樹寺
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