blog拝啓、雲樹立つ寺より

初老師

投稿日: 2023.07.24


かの有名な臨済寺専門道場の看板

 

先週は一泊二日で
住職が修行中お世話になった老師に
結婚のご報告とご挨拶をするために
静岡に行ってきた、雲樹寺寺庭の彩香です!

 

老師と聞くと、皆さんどんなイメージがありますでしょうか?
おじいちゃん!長い髭!腰曲がってる!
厳しい!物知り!立場がめっちゃ上の人!
挙げたイメージは今私が思い浮かんだものですが
中でも厳しいというイメージは
お坊さんの修行の厳しさイメージも相まって
老師という方は
いつ如何なる時も誰に対しても厳しく接するというイメージが
私の中に刻み込まれてしまっていました

 

そのイメージを持ったまま、老師にお会いする日を迎え
臨濟寺の駐車場に着いたとき
それぞれ違う理由ですが、2人とも緊張していました
私は怒られるのが極端に苦手なので
老師の前で無礼を働いてしまったらどうしようという不安に駆られ
緊張しておりました

 

住職から、老師にお会いするときの最低限のマナーを教えてもらいながら
待合室でそのときを待ち
ついに臨濟寺の修行僧の方に案内されて
老師とお会いするときが来ました

 

住職がお世話になった老師は
私の持っていたイメージとは
良い意味でかけ離れた人でした
笑顔が素敵で、柔和な雰囲気を持たれた気さくな方だったのです
私たちの結婚も心から喜んでいただけました
老師のおかげで私の緊張はほぐれ
終始とても和やかな時間が流れました

 

今回私が見た老師の一面は
優しさが前面に出ていましたが
修行僧の方々には
厳しい一面も見せておられたと思います
優しさと厳しさは
一見共存しないように思われるかもしれませんが
私は、厳しさの核にあるものは優しさであると
老師とお会いして、そう思いました

 

叱らない人は優しい人のように見えますが
果たしてそうでしょうか?
他人の成長を妨げている課題点が見えているにも関わらず
それを指摘しない
これはその人との関係性にもよりますが
相手に優しさの本質を知らない人の行いだと感じます
優しさというのは
相手が喜ぶ優しさに焦点が当たりがちですが
相手が喜ぶことをするだけが優しさとは限りません
自分がどう思われようと
相手が悪い方向に進まないように助言をすることも
優しさの一部分ではないでしょうか

 

叱られた本人は嫌な気持ちになりますが
自身の感情に左右されず客観的な視点で叱る人に叱られた場合は
いつかのタイミングで叱った人の優しさに
気づけるはずです
話を老師に戻しますが
住職がお世話になった老師は
僧侶を育てるために必要な知識を豊富に持たれていると同時に
本質的な優しさも遂行されているように感じました

 

人格的に成熟している方にお会いすると
その人には長生きして欲しいと思えて仕方ありません。
老師にあったのは今回が初めてでしたが、是非とも長生きして欲しいと

心底から願うばかりです。

瑞塔山 雲樹寺
〒692-0056 島根県安来市清井町281
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参拝時間 8:30〜17:00
※上記以外の時間はお参りは出来ますが、職員の対応はありません。