blog拝啓、雲樹立つ寺より

唐突にヤギ

投稿日: 2023.08.06


やぎのいえ、のヤギ、の口

 

じゃあヤギの話します

そう決意したのは私こと雲樹寺住職
雲樹寺のお祭りを終えて、ついに始まった夏…
待っていたのはお祭りに次ぐお祭りでした

従来であればほとんど関係無いんです
思えば夏祭りの類には全く行くことがありませんでした
忙しいだか用事があるだか、お盆というのもあったりして
生涯で夏祭りに行ったのは京都での大学生時代…
たまたま祇園祭に遭遇してしまった時くらいです

そんな私がこの歳になって初めて行く夏祭り!
島根を代表するお祭りこと水郷祭
これに参加する知り合いへの挨拶周りの旅
の話はやめて、ヤギの話をします

します、ヤギの話を

 

 

そもそもヤギと接点のない人生でした

皆様はどうでしょうか
身近にヤギいますか

犬とも猫とも違う…なかなか特殊などうぶつ
ヤギがいるべき環境は住宅地とは違いますしね
環境の方が降ってくるくらいじゃないとです
だからヤギとの関わりなんて普段からは得られないもの

そしたら雲樹寺のそばに環境が降ってきました
ヤギの方から来たわけです
その名もヤギ牧場「やぎのいえ」
1kmも離れてないところに誕生した新しいご近所さんは、ヤギがメインだったのです

会いに行くと噛まれました

端折りましたけども、噛まれました

悪いやつでは無いことは分かってるのですが
痛いものは痛い
しかもあいつら、舌でぶにゅぶにゅ口の奥に優しく指を運んで…奥歯で噛み切るんですよね
油断させといてガブリですよ
なんてやつらだ

しかもやつら私がちょっと怒っても同じ手口で噛みますからね
コラっ!とか言われながらもう噛んでる
クソっこのヤギ野郎…
かわいい顔しやがって

 

 

「性善説」とか「性悪説」って言葉がありますけど
これって結局どっちも同じで
結局大事なのは教育だよね!って話なんです
正確に言えば教育も内包した環境ぜんぶ
今ではなんか違うニュアンスで使われがちですけど

そも人間ってのは最初っから「善」なのか「悪」なのか…
でもコレって別にどっちでも関係無くない!?
善も悪も時代や社会観で簡単に変わっちまうしなぁ!ってこと

私はコレを真面目に考えてたことがありました
まあ車輪の再発明みたいな感じで上記と似たような結果に落ち着くんですけども
私は誰しもが持つ本能的動物的なものに対して
従順になるか拒絶できうるかみたいな思考にもなってました

世に並み居る凶悪犯罪という結果やその芽
集団であるがために起こる複雑さや奇妙さ
これらが暴力性に身を委ねるために精神が引き起こす意図的な退行の成果なのかもしれないとか
うんぬんかんぬん…

それでなんでしたっけ、善だの悪だのですね
いや結局のところ教育などの後支えの無い人間などというものは
動物と変わらぬのであろうと思ったんです
考える芦が考えるのを辞める…考える土壌そのものを取り払う
後に残るのはか弱すぎる動物

これが描くことのできる善や悪とは何であろうか、と

 

 

まあ…休むのによく似た考える時間、ってのもあります
私のやることですしね!

そんな時間に必要なのは癒し…癒しとは、毛むくじゃらです
ご存じありませんでしたか?
癒しとはもっさもさです、もっふもふとも言います
自分と違う姿形の生き物に、信頼されることが癒しなのです
もっふぁもっふぁなのであればなおよい

元々、動物が好きですので
彼らにとっての幸せや善悪を考えるのは自然な事にも思えます

人間と違う、別の機能を持った生体
しかしその機能の全ては、生体の維持と存続のためにある
ある種において…なんて言い訳するまでも無く、それは美しいのでした
そして、この我々と違うハードに搭載されたソフトもまた、同じ
肉体も精神も生存を望むのです

であれば、人間の都合によって策の内側に入れられている彼らの在り方は
やはり善も悪も無い所にあるのではないでしょうか
生存のために舵を切り続ける純粋さが、全てなのではないでしょうか

人間の都合を人間でないものに当てはめるのは実に愚かしいですが
つまるところ善も悪もまやかしのような曖昧な基準でしかないのです
私はそれを沢山の恩人や、犬や猫や魚
「やぎのいえ」にいるミニブタやうさぎ、恩赦で生きるニワトリやヤギに
改めて教えてもらった気がするのです

だからヤギは、こいつらはとにかく指を嚙むんですね
かわいい

でも痛いものは痛い
それとちょっと目が怖い

 


おまけのミニブタちゃん、こいつらは舐めてくる、かわいい

瑞塔山 雲樹寺
〒692-0056 島根県安来市清井町281
TEL:0854-22-2875 / FAX:0854-27-0281
参拝時間 8:30〜17:00
※上記以外の時間はお参りは出来ますが、職員の対応はありません。