遠くに花火
投稿日: 2023.08.20
雲樹寺(から500mくらい離れた橋の上の真ん中あたり)から見える花火
花火は見ましたか
皆さんは今年も花火を見たんですか
見てしまったんですか!
おお…ナイス夏
腹に響く音とまばゆい光の粒が貴方の思い出を彩ったのですね
よかった…夏は誰にも行きわたったんだ
よかっ…た…
花火が良いものだと知ってはいる私は
雲樹寺住職こと醍醐なるもの
そして皆様は夏を知る者…夏そのもの
知ったとき、感じたとき、心はその通りに変化する
心がかのように動けば、即ち体も動くのです
これは観測できる事実、いわば摂理
現に体を動かし生きる人の心は…何かに突き動かされている
今日は今日、明日は明日の心に生きる
そのどこかに、あの夏の日の花火も必ず灯っているんです
そういう心のはたらきを「冷暖自知」と…
何回使ってんだよその禅語!
これらのブログだけでも三回か四回は使ってるかもしれない常連さん
暑いのも寒いのも苦手なので、すぐこの禅語が脳裏をよぎる
じゃあ今日はちょっと我を拡げるか…
〇
でも(話題転換)
花火っていいものですよね
今日見た奴は、おそらく米子の「がいな祭り」の花火でしょう
たまたま一回も行ったことありませんが…
花火の音は毎年聞いてますよ!雲樹寺に居るときは必ず!
こんな私でも知ってる花火の良さ
アレっていつごろからあるんですかね
火縄銃とかが来た時に織田さんちのノブさんがめっちゃ硝石集めてたとか
つまり、戦国時代には火薬は民衆に浸透してはいない…
徳川さんちの家康さんは豊臣さんちの息子の大阪にある家を攻めたとき
ほとんど初めて大砲を使ったとかなんとか…大砲が花火より後ってことは無いだろう
海外では13?14?世紀とかのあたりでイタリアにあったって聞いたことあります
絶対これよりは後だろうしな…
じゃあやっぱり…ざっくり江戸でしょうかね!
なんせ250年くらいありますからね
どっかで始まったんでしょう、たぶん、おそらく
なんか吉宗さんのあたりで始まってそうじゃないですか?
勝手なイメージですけど
徳川さんちの中盤あたりの人たちが思い浮かばないせいなんですが
でも文化って、発生したものもあれば消えてくものもありますよね
時代やそこに生きる人々の想いが、高まってパッと花開くわけですが
しぼむように消えていくものある
そう、花火みたいに!
おっ、ちょっと話題が逸れたな…
言いたいことは、今にまで遺っているものに特別な意味が宿り得るってこと!
花火は今も遺る特別さをどのように持つのか!
〇
「行雲流水」という言葉が有りまして…
ぬぁッ!この禅語も使ったことある気がする!
有名どころだしな…じゃあ…
「百尺竿頭に一歩を進む(ひゃくしゃくかんとうにいっぽをすすむ)」
これでいきましょう
全部で百尺…三十メートルくらいある棒!これが1コースだとしまして
この上を歩いていく道のりがあるとしまして
三十メートル地点…辿り着いたらそれで道が果てるとして
どうしましょうか
「そこからさらに一歩進む」わけです
三十メートルの竿の「竿頭」先っぽから、一歩先へ進む!
なんせ言葉の通りこれは長いだけの棒、っていうか竿ですからね
例えるならば定められた道、教科書の中の世界そのもの
目的は元より、これを踏まえた上で次へ行くこと
目標は如何に竿から離れるかではなく、それすら忘れ果てること
続くとは、そういうものの繰り返しがあるのではないでしょうか
凝縮
放散
洗練
あるいは衰退だって
おしなべて何からも守られぬ環境下の苦悩
人が安寧を求めるという競争社会の中で、生き残るための変化
それらですら全て、花火のようではないでしょうか
〇
この「そう、花火のように」っていう例え自体が
そもそも誰にでも伝わる慣用句として高水準に機能を発揮している事実!
すごい事じゃないでしょうか
誰でも知ってる花火
これの文化的な凄さが辿った変遷っていうのは私にも想像つきませんが
今、当たり前にあるっていうのは、それだけでホント凄いんじゃないでしょうか
蔑ろにして良い!っていうものはなかなか無いんじゃないでしょうか
そう例えばホラ仏教とかホラホラ大事にしてホラホラホラ
…話が逸れましたが
知ってる限りで一番の花火の良さっていうのは、その形状です
球状、玉の形をしている
遍く外に広がっていく
何処にいても、誰でも、同じような形に見えるんです
「打ち上げ花火、下から見るか、横から見るか」って作品が有るらしいんですが
どこから見ても形は同じで、誰と見るかとかが大事とか
そんな話なんじゃないかと勝手に思ってるんですけど、見てないのに
また話が逸れました
おいコイツさっきから見なかったり調べずに勝手ばっか言ってんな!!
…さておき
冒頭の写真の通り、このように遠くから見てもあれは球なんです
光と音で存在を知らせるあの灯は
まるで、誰かがここに居るんだぞ、と強く訴えかけるようで
これを見守ることのできる私たちは、この灯の輝きの基に集まって
ある種、虫のような…というよりは純粋で単純な命そのものとして
同じ形を、目撃している
心にその影を焼き付けて、瞬間を共有している
ああ、これは現在どのテクノロジーも超えることのできていない
共通の話題で多くの人間と同じ瞬間をシェアする
民族も政治も無い、心だけがあるSNSのようなものなのだ
なるほど今まで続くわけです
誰もが「いいね」ボタンしかないことを疑問にすら思わない
こんないいものがここにはある
和の心の体現がある
誇らしいじゃありませんか
素晴らしいじゃありませんか
嬉しいじゃありませんか
こういう心を、有難いと感じるわけなんですね
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「無色界苦締慢 (むしきかいくたいまん)」のようす