寺 インスタ で検索
投稿日: 2023.09.10
検索結果ちゃん、昨日までは2位だったのに
皆様はエゴサーチとかしたことありますか
エゴサーチとはまさに自己の欲を満たすためのサーチ(検索)
エゴをサーチするのでなくエゴに突き動かされサーチに手を出すのです
一度それでエゴが満足してしまうと定期的にそれを求めていく・・・
そう、エゴとは満たされる事の無い欲望の器なのです
麻薬じゃないんだから
いや・・・これが電子ドラッグというものなのか?
こんなに身近に!?
さておき
では私はというと、やったことないです
いや正確にはやったことないわけではないんです、昔に少し
火を見るより明らかな結果しかありませんでしたけどもね
だって今の私より遥かに何者でもない私を検索するんですよ!?
何が出てくると思って私は私を探したのでしょうか
なんにも出てくることはありませんでした
私はその時何を思ったのか、今では全く思い出せません
取るに足りなさすぎる過去・・・!
元より珍しい苗字と名前ですからね
醍醐靖幸!!
見た事無い文字列ですよねぇ
・・・あれ?ここで書いたら今後はここ出てくるのかな
イエーイピースピース俺のエゴ見てるー?
今ではすっかり、名乗ったところで何とも思わなくなりました
昔と変わらないな!!
ですが、雲樹寺はどうでしょうか・・・
〇
まあ結論から言うと、別に何も無いです
普通の事ですが言っておきますと、私と雲樹寺は別です
私がいなくなっても雲樹寺は続くし、雲樹寺が無くなっても私は・・・いやそっちは辛いか私が
つまり単に私は現代の雲樹寺を預かっているだけで、たまたま38人目なだけ
特別でも何でもないんです
とにかく、雲樹寺と調べてもいつも通りのことだけです
観光とか、歴史とかの話が出てくるわけです
普通・・・
雲樹寺っていうのはほとんど固有名詞だそうでして
似たような名前こそあれ、此処と同じ名前のお寺は無いんですって
だからでしょうが、まあ当然知ってるところが出てきます
いや、悪いことじゃないんです
じゃないですけれども
意外性が無い・・・!
普通の事ですけどもね!!
それでいいんですけどもね!!
面白くなくても全然いいんですよね!!
ということで、別にやっても面白くないのでエゴサーチはしないんです
ちょっと言葉にするとおかしいかもですが、こんなものです
いいじゃないですか、奇異な事を行わない理由が単純でも
〇
と考えていたら先日たまたま検索窓に打ち込んだ言葉が有りまして
ブログタイトルにある通り「寺 インスタ」です
何かこう、調べ物をしたかったんですよね
でも頭か情報か脳あるいは全部がぼんやりしていまして
うっすらと「インスタグラムもやってる寺」だけ記憶出来てましたから
「寺 インスタ」でGoogle先生に聞いてみたんです
そしたら随分高い位置に雲樹寺がやってるインスタが出てきまして!
しかも上から数えて2番目!
これはなかなか・・・凄いんじゃないの!?
Google先生の検索結果は何順かは知りませんが順位制です
ああいうの出る順は検索数とか需要とか、そういうので決まっているらしいので
やっぱすげぇぜ雲樹寺!
とか言ってたのも数日前
今調べると、5位くらいまで落ちてました
・・・いやそれでも十分すごいけれども
でもコレ、検索ワードが結構絶妙なのだろうとも思います
なんというか、オリンピックじゃなくて地方予選の結果というか
ブロック予選通過時の得票数と決勝トーナメントでの成績の差というか
100メートル走のタイムを2倍にして200メートル走のタイムと比較するとか
そういうズルなのかもしれません
って言っても何を以って均等な検索ワードを作ればいいか分かりませんがね!!
〇
さて「好事不如無(こうじもなきにしかず)」という言葉が有りまして
好事とは、いいことです、とってもいいこと
それが無いに越したことはない、というのは、いいことの放棄です
実はそれこそいいことなのだ、と言われてもピンとくる方は多くないはずです
ですが好事とは、まさに言葉の通り好きな事
好きとは、自分自身の頭が求めて選んで好きだと言ってるものです
打算や欲望、何より執着!
あるものを貰えたから好き!良かった!またもらえるならもっと好き!
こんなのを何回続けていても、麻薬のようにドップリ同じものに漬かるだけ
好事ひとつでそんな執着し続けることになるくらいなら、無い方がマシ!
同じことを繰り返したがるなんて、無意味!
そういう考え方なんです。
じゃあ何か、悪いことを求めればいいのか
これもまた自然な考えに見えますが、果たしてそうでしょうか?
上記の考え方は既に「好きな事だけしていたい!」という言葉に対する言葉です
好事への執着の逆を行きたいという執着!「だったら逆行けばいいだろ」的な思考停止!
つまり自身の執着心を逆方向にもっていっただけ!
結局は無駄という事です
右も執着なら、左も執着なのです
ならばどうするのか!
中庸、ちょうどいい真ん中、これに決まっています
いいこともある、わるいこともある
どちらも等しく受け入れる、これが正しい姿勢なんです
でも考えて見てください、そりゃそうじゃないですかね?
自分だけが享受したいものを享受し、享受したくないものは捨てるとか逃げるとか
ズルではありませんか、ズルは良くない
そうやって上がったり下がったりする中に、本物が生まれてくるのですから
どちらかから頑なに逃げていては、きっと何物でもないモノが生まれてしまう
その誰からでも生まれうる誰でもないモノは
きっと誰もが何よりも怖れるべきモノですよ
どんなに素晴らしいものでも、それに捕らわれれば執着となる
手放し続けるのも手に入れ続けるのも良くない、自然の流れに身を任せるべきなんです
だから私も、雲樹寺が検索ランキング上位に入る「寺 インスタ」という魔法の言葉を
・・・捨てるでも守るでもなく、なんかこうぼんやりさせておくことにします
皆様も是非一度「寺 インスタ」で調べて雲樹寺の順位を確認して
定期的に思い出したり忘れたりしてみてはいかがでしょうか
ちなみに元の調べたい寺の名前は完全に忘れました。