コーラス発表
投稿日: 2023.12.10
コーラス発表の様子、妹撮影
雲樹寺の住職はご存じのとおり、住職です
しかし時たまにコーラス部の部員ともなるのです
そして発表のタイミングだってあるんです
今回はこちら、その様子です
私がどこにいるか分かりますでしょうか
答えは言いません
ステージの名前は安来市民余芸大会!
安来市民のこういう文化的な在り様の発表会です
聞いたことないですね
いやそれも当然なんです、悪口じゃないです、数年ぶりなんです
コロナ中ずっと休止中だったんだとか
私がコーラス部に入ったのが去年だったので、致し方ないですね
自分と関係ない世界っていうのは、まっこと耳目に響かないものです
やってみるのって大事
もともと声を出す仕事でもあります
さらに歌だってイケるだろうという動機の中には
小学校と中学校で行う合唱ではソプラノをしていた自負も含まれます
「これは・・・イケるだろ」等という驕りはこういう感情で構成されていました
まあ別に全然イケなかったのですけれども
高い声ぜんぜん出ねぇ!
だから下手なテノールでやらせていただいております
〇
そういえば声を出す仕事としての幅が異様に広がった一年でした
テレビ出たり・・・下手なおしゃべり披露したり・・・
未だに定期的にやってる内容でもありますが
なかなかどうして、うまくいった!と思える仕事ばかりではありません
よく言っている事ですが「生き残れてよかった」という評価が基本
死んでないことくらいしか評価ができない!
死なないように守ってもらっているというのに
でもああいうのも含めてやはり努力の成果です
人生いつでもテスト
学生の頃からずっと嫌いだったテスト
準備と対策がいくらでもできる、思えばあんなものは優しいですよね
この戦いに終わりは有るのか
終わりは無いがやる他無い
今回の安来市民余芸大会も、やるほかありません
だからこそ準備を続け、練習を繰り返し、この日までやってきたのです
すべてはベストを尽くし、ベストを披露するため
意思や想いを形骸にさせない為に、心を鍛えるのです
他の何かと比べることで出る結果は、あくまで結果ただそれだけです
〇
真玉泥中異(しんぎょくでいちゅうにいなり)
という言葉は「大事な物は泥の中にこそ在ってなおも輝きを失わない」という意味です
大概そういうものは泥に汚れさせたくないものですが
この気遣いこそ、まさに不要であるというもの
やるべきことで得るべきものは、泥にまみれるほど輝きを増す、とも取れますし
そもそも泥の中に在るものだとも思えます
真玉を手に入れたときには、泥にまみれているとも言えて
本当に手に入れるべきものは泥であるとすら言えてしまうのかも
いつだって即席で片づけてしまうものに価値は生まれづらく
何回もの積み重ねの上にようやく輝きがある気がします
こう聞くとやはり積み重ねた先にあるものよりも
積み重ねそのものにこそ意味が有るように思える
古代遺跡や史跡というものも
その時々の宝と呼ばれるそのものよりは
宝の周りにある「その他大勢」の中にこそ
より多くの人々の生き様や文化が見られたり
代表的な王様の生き様より、目を向けるべきがあったり
つまるところどちらも大事なんですけれども
目立つ綺麗なものばかりでなく、それ以外のものも大事っていうのは
真玉と泥の関係性と同じですよね
〇
では今回のコーラスによって得られた真玉はというと
三十五点くらいでした
私が言ったものでなく先生が言ったものですので・・・
いや確かにリハができない、直前まで声出しも難しかったなど
逆風は多少ありましたが、まさかここまで調子を出せないとは
ですがなぜこうなったのかは嫌というほどわかります!
要は不足です、自分自身の・・・
こういうことが理解できたのは、ひとえに努力のお陰
何も分からぬまま、終わったことに喜ぶ自分自身でなくて本当に良かった
また努力できる、自分を磨ける
ここには、ただ泥だらけの自分があるわけではないのです
そしてこう思っているのは、決して私だけでは無いのです
だから頑張るに値する
頑張り続けるに値する
これから先も、きっと頑張って参ります
だからいつか、コーラス聞きに来てね