来年が見えてきた
投稿日: 2023.12.18
うちの雲龍図ちゃん
年男です
12の倍数で年齢を察されてしまう年になりました
そんな私は雲樹寺住職の醍醐
相も変わらず、というには激しい忙しさに辟易としている者です
うすうす気づいてはいるのですが、原因は私にありそうです
思いついて行動することで、予定が狂う、休みが無くなる!
でも、ここでやらねばいつやるのだ!とも考えてしまう
結果として負担が増えるというもの
じゃあ・・・しかたないな!!
しかし鳥頭でもありますので
やること勝手に増やすと一方的に忘れちゃいがち
こういうときのために「やるべきことメモ」をよくとっているのですが
折角書いてるのに分かりづらい内容になっていたりします
思いついた瞬間のキーワードだけ書いてあるからですね
いま近くにあるメモは
「限定」
「季節」
「直書き」
これは一体・・・?
〇
御朱印の事です
多分きっとそう
雲樹寺は中国観音霊場と出雲神仏霊場に所属している霊場
ここに来た証、というものを示せるようにするのです
いわば修行の証、それが御朱印
しかし、そのようなものであるならば
地味でいいのでは?
実にその通り、道理で正解です
しかし、なればこそ別側面から見るべきでもあります
ただの正解など面白くないのです
修行の証、仏教との縁が御朱印ですからね
ただのスタンプラリーとはワケが違う
ならば、ですよ
じゃあ、誰もが修行したい!縁を結びたい!と
自然にそう思っていただけるような工夫を
怠るべきではないのでは?
ちょっと格好良かったり
ちょっと綺麗めだったり
コレだけの事でお寺においでいただき仏教に触れてもらえる
長い目で見たとき、絶対に必要な事になります
お寺と縁は、生きている人と結ぶものなのです
〇
「逢緣即宗(えんにおうてしゅうにそくす)」
という言葉がありまして
意味は「仏縁を受け止め、有難く頂戴する」って感じです
そもそも、なんで会えたのか
そんな歌があった気がします
不思議な言葉です、皆様はなんでだと思われますでしょうか
縁があったから、こう答える他無いはずです
では縁は何故有ったのか
これに答えることなどできようはずがない
あまりに沢山の事実が積み重なって、ここに私が居る
ならば同じように、私ではない誰かも沢山の上に居る
答えることができるとしたら・・・縁があったから縁が有るのだと
それもまた事実であり、正しい
まるで偶然のような出会いは、真実、偶然のような縁が重なって生まれたのです
これを知って、有難く思うこと
何より大事なのは、この時の感謝の心の中にあるのです
〇
まあ、その縁を司る沢山の中の一つに
限定御朱印とかがあっても、いいよね、ってことです
ちなみに今考えているのは
雲樹寺に数多ある龍の形したものに触れていただくとか
辰年ということで雲龍モチーフの御朱印を作るとか
仏殿の中から見える天井絵をご覧になっていただくとか
そんな感じ
あくまで試験的に雲樹寺の見せ方を変えていくわけです
また変化しちゃいますねぇ!
でもこれだけ変えたりして足掻いても
佛教はビクともしない
こういう懐の深さを改めて感じられる
だからこそ、やるしかない
多少の休み時間が無くしてでも、やりますよ
来年が楽しみ!