寝誕生日
投稿日: 2024.02.13
たまには水面に浮かべた菊の花でも
フラフラしていたら二週間経っていました
何を言ってるのか分からないかもしれませんが・・・
なんか日曜日と次の土曜日にインターバルが全然無かったんですよね
日曜日が終わったと思ったら、土曜日でした
私の実感が狂っている・・・
っていうかブログ書いてなかった・・・
フラついていたり狂ったりしてたのには理由が有ります
風邪だったのです
一月の終わりから徐々に体調が悪くなっていって
仕事を終わらせて二月に入ってからすぐ、声が出なくなり休養しました
ここ最近、私が風邪になるという時は必ず喉からです
ほとんど例外なく声が出ずらくなり、無理をすると完全に出なくなる
どうしようもなくなって寝込む・・・
こういうことをしていると、時間の感覚がおかしくなります
身体も精神も弱すぎる!
弱い私はフラフラするばかり
〇
でも近頃の風邪ってなんか強くないですか?
コロナ禍を経てからこっち、ダメージがすごい
・・・気がする
私は喘息も持ってるのですが、もれなくこっちも悪くなる
喘息の原因である慢性鼻炎もパワーアップし鼻は塞がる
季節の変わり目にも敏感になって頭痛も収まらず
・・・もしかして私が弱くなってる・・・?
時期によって病気が強力になるわけ無いものな
とすればこれは私に問題があるということ
困りました
外に文句があるうちは外に向けて言いたいことが言えるのに
私への文句は言うのも解決するのも私です
そして何をすれば解決になるのかは分からない・・・
これでは近々またもぶっ倒れてしまう!
病魔、鬼、卻瘟だのなんだの
昔の人はいったいどうやって対応していたのでしょうか
〇
っていう感じの言葉を探しましたが
意外と見つからず
病気になったら〇〇とか
そうならないための心掛けとか
でも考えてみたら、そういう対症療法的な物って禅語らしさではないですよね
私が欲していたのはほとんど、おばあちゃんの豆知識でした・・・
じゃあ長年に渡る禅僧の歴史は、病気とかに何もコメントしていないのか
そんなわけありません、ないはず、無いよね?
禅語っていうのは基本的に汎用性の高い前向きな言葉
病気の時の励ましに「も」使える言葉は沢山あります
ではなく、欲しいのは「病気と向き合う」言葉
という感じで探し回っておりましたら
「日面仏、月面仏」(にちめんぶつ、がちめんぶつ)
という言葉が見つかりました
馬祖道一禅師、という昔のお坊様が末期にて病気になった際のこと
苦しそうな様子を見て「大丈夫ですか」と問いかけた弟子に対して答えた言葉です
意味は、「太陽のように長生きな仏様と、月のように短命な仏様」という意味
実際に日光菩薩、月光菩薩という方があったりもするのですが
どうも昔の人からして、太陽は長生きで月は短命、だったそうなんです
太陽はまず間違いなく同じものとして在り続けておるのでしょうが
昔の人は満ち欠けする月が、そのたびに生まれ変わっていると考えたのでしょう
丸いものが徐々にかけていくわけですから、さもありなんですね
それで、なんで馬祖道一禅師は心配の言葉にこの言葉を返事にしたのかというと
「長生きも短命も、同じ命」だと、言いたかったのだと思われます
今を生きている、これだけのことなのだ、と
向き合い歩むことこそが、肝要なのだと
そういうメッセージです
〇
命か・・・
風邪で弱っている話から、随分と遠くに行ってしまった
的外れだったのかもしれねぇ
というのは、私の考えが的外れだったということ
風邪は風邪、単にそれだけのことです
命は、いつまでだって命です
その時その時で違う一生懸命さを、出せるだけ出すのだ、ということ
コレだけ分かっていればいいんです
逆にこれだけを分かっていないのであれば、いつでも右往左往できる
迷いの多い人生はロス・・・!
だから私の、風邪が去年より強いとかそういうわけわかんない考えはロスです
とにかく直して、健康になってからの一生懸命を考えましょう
皆様の風邪の治し方はどんなのですか
私は「満腹になってから寝る」です
これが一番強い
どんな症状が出ても、大抵の場合、食欲だけは落ちません
私のこの感覚も、見る人によってはおかしいんだろうな・・・