最終回
投稿日: 2024.03.31
最終回直後に撮ったもの、良い記念
一応言っておくと、ブログの最終回ではないです
最近更新ぜんぜんできてないですねぇガハハ!
そんなことを言ってる私、雲樹寺住職の醍醐
いつまでこのタイプの自己紹介を続けるのか…
誰だかのアドバイスで知名度アップのために始めたんですよね
始め方はまだしも、辞め時は聞いてなかったなぁ
黙っていても終わるものはあるというのに
と、スムーズに話題の方に入っていくわけです
最終回ですね、終わってしまったものについての話
日本海テレビ初の試み、地域の情報番組を夕方の帯に、というもの
番組の名は「おびわんっ」
私が初めてレギュラー出演したテレビ番組で、たぶん最後にもなる番組です
そりゃそうだろ!一回あるだけでも不思議だわ!!
…はい、一応言っとかなきゃならないですからね
調子に乗って無いですよアピール
そんな「おびわんっ」
3月29日に最終回を迎えました
〇
始まりがあれば終わりがある、なんてココで嫌って程してきましたね
だからそんなことを言う必要も無いのですが
実際に終わっちゃうとなァ~
何でもそうですけどもね!言うだけのことなんて簡単なんですよ!
ホントにそのものがこっち来ちゃったときにするべきは諦観や俯瞰であっちゃならない!
自分そのものでぶつかっていく他無いんですよ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ、ってことですよ!(雨ニモマケズ)
…合ってんのかな、用法とか解釈とか
要するに、いろいろ言ってたけど寂しいモンは寂しい、ってことです
なんせ終わってしまうわけですからね
今までテレビ番組見てて、
あー終わっちゃう、終わるの寂しい、ロスだわ…つらいわ…
みたいな感情を抱いたのって…笑っていいともくらいですよ!
それもあくまで、第三者的な寂しさでしたからね
大概はそうでしかありえないんですけどもね
テレビ番組は、沢山の人々の仕事で形になっています
当たり前のことですけど、番組終わりのスタッフロールだけで実感できはしません
参加して、出演して、一員になって初めて「理解」できました
反省とか、成功した喜びとか、私が味わったものはほんの一部でしか無くって
もっともっと多くの人たちが無数に動いて、今が在ることを心が理解できて、
そして終わってしまったんです
寂しいですよ、そりゃあもう
〇
寂しい寂しいって言ってますけども
「寂」って、死を意味する言葉ですからね
涅槃寂静とか、寂寞の想いとか
しずか、ってことは
ひっそりしていて、さみしいってことは
「死」と、それを感じる心が有るんです
これが、寂しさです
とか言ってテレビ番組が「死」んだなんて大げさな言い方ですけども
じゃあ逆に何だったら「死」んだって言ってもいいんでしょうか
命あるもの、形あるもの、大事にされているもの、貴重なもの
全部答えとしては、三角だと思います、正解ではない…それら一つずつでは
上でも言ってる通り、「死」を得たものを見つめる心が在るかどうかでしょう
その「死」により寂しさを得る者の数だけ、「死」は間違いなく在る
ならば、テレビ番組だって死ぬのでしょう
そして寂しさも、在る
「おびわんっ」は同例に語られる番組のどれよりも、少人数で行われていたようです
厳しい環境であったのです、でも、だからこそ生きていた
「おびわんっ」は精一杯愛されて、作られて、生きていたんです
私たち出演者も、当然のように愛していました
その分だけ、寂しい
〇
という悲しみの話ばかりをしているわけですが
あくまでこれは、そういう側面だけの話
確かに番組は終わり、毎週水曜日の予定は空白となりました
でも、本当にこれだけのことです
「おびわんっ」が終わってしまったとしても
「おびわんっ」が無かったころに戻ることはありません
一年間、積み重ねてきた経験や人付き合いは、消えることはありません
最終回に出演しながら、寂しくもあり悲しくもあり、しかし巡りくる次の気配を信じられました
それは人の命ともよく似ていて
その人が居た痕跡や記憶は、消えることは無いのです
心が共に有ったからこそ、一人だけのものではなかったからこそ
ずっと生き続けているんです
未来が有るんです
このことを知ってか知らずかよく言われる「永遠に」なんて言葉は
実に正しく、良い言葉であるがゆえに…使い古されているんですよね…
「おびわんっ!よ永遠に!」
キャッ恥ずかしい、言っちゃった
言えてよかった
ここで得た経験、他に無い修行の成果を胸に
これからも一生懸命になっていきます
共演者の皆様とも、また会えるといいなぁ!!