忙しい季節が終わる
投稿日: 2021.08.23
雲樹寺のサルスベリくん、意外とそこら中に植わっている
終わっていません
何も終わっていません
いきなり題名に嚙みついておりますが題名書いたのも私
いったい何をしているのでしょう
とはいえ終わっていないのも事実
忙しい間にできなかった「やるべきこと」
それは忙しさの後にやってきます
つまりやっぱり忙しいんですね
しかし普段から忙しくない者ほど忙しいと口にするんだとか
なんだよ・・・でもそうかも
ガッデム
〇
が
そんなことより
ブログの更新を2回もサボってしまいました
これが良くない
まったく申し訳ない限りです
・・・どれだけの方がご覧になられているかわかりませんが
それよりも未来の自分、そして過去の自分に対して申し訳ない
さらに言えば未来の私でない人にも
過去の私を支えてくれた全部にも。
やるといったからにはきちんとやるべきなのです
忙しさにかまけて無言で休むなど無責任極まる
以後はこういう事の無いように努めます
〇
しかし凄まじい速度でした
何がというとこの2週間と少しの期間です
いつの間にかと言った具合です
これはあくまで体感でしかありません
60秒は1分、60分は1時間、これを24回で1日
重力がどうとかの厳密な部分を排して、これは誰とも同じ資産です
なのに私にとってはまるで感知できぬほど早く感じられた
「光陰矢の如し」(こういんやのごとし)
この言葉の通りだったと言えます
〇
光と陰、というよりはむしろ日が明ける暮れる空の色の現れ
1日の流れが放たれた矢のごとく感じられるという意味の言葉です
忙しい要因に没頭していたが故か
はたまた気絶していたが故か
とにかく早く感じられたあの時間
しかし振り返ってみれば、どの過去とも同じ過去
そしていざ過去として振り返っている自分のいる今(現在)
これもまたあの頃と同じように流れているはずの時間であるはず
その証拠に今がまたどんどんと過去に消えていって・・・
まるで悪い夢のようです
こうすると怖くなることがあります
幾度となく行う私の仕事・・・弔いという行いもまた死ありき
死は生ありき、生きる時間の積み重ねありき
わたしが振り返る過去が積み重なる分だけ近づいてくる死
当たり前のように近づいてくるそれへの恐怖が時たまに胸を襲うことが有ります
でもこれも一時の事
時たま襲うこの感覚が来る理由を想えば、恐怖は消えます
没頭です
生きる事に集中し、没頭していれば恐怖は自ずから無くなる
時がたつのを忘れるように没頭すれば時間の感覚は消える
死を忘れるほど生きる事に懸命になれば死への恐怖も消える
そうやってたどり着ける場所には
もしかしたら終わりすら満足に迎えられる私がいるのかもしれません
〇
だから忙しい方が良いっちゃいいのかもしれません
かもしれません、が
できれば余裕がある方が良いですよね
仕事にばかり没頭するのが良くない!
余裕ある時間配分で生まれた時間を自分や自分以外のものに使えれば
それはきっとより「自分自身」に没頭することに繋がる
そうだ、なにかいい趣味見つけよう(無趣味)
そのためには溜まった借金とも言える仕事の山を片付けて・・・
仕事からは逃れられませんかそうですか
むう・・・余裕が欲しい・・・