blog拝啓、雲樹立つ寺より

年末進行につき正月に向けての話

投稿日: 2021.12.28


今年も白いのが来た

 

雲樹寺の副住職、醍醐です。
さも当たり前のように火曜日にブログ更新しやがっておりますね
お気づきでしょうか、ここ最近ずっとです
許して許して

形骸化しつつある月曜更新を踏み越えて今日も書いていきます

 

 

聞くに…人間というものが朽ち果て始めるのは、自分の上位を無くした時だそうです
自分より上のもの、自分よりも強いもの、高いもの
そういうものが消えたとき、人の増長は止まらなくなり、やがて朽ち始める、と。

具体的には親とか、上司とか、共同体におけるボス
人は無意識にそれらを目指す…自分自身がトップそのものになるという夢
一番強く究極的な願い
果たしてそれが叶う時が文字通り終わりそのものというのは、面白い。
具体的なところで言うと昔の中国の皇帝とかこうなりがち

でも見回すと、現代では意外とそうなってないところもありますよね
立派な企業の社長や国の長
…でもちょっとたとえは悪いかもしれません
現代においてトップとかボスってのは真実そのものと言えませんからね
どれだけ頑張っても、その共同体自体が多くの要素によって成り立っているので
結局のところ苦労が増えるばかりで、あんまりいいことは無かったりします
トップって大変

でも、そういう絶対的な王の座、無くなったわけではありません
これも面白いですよね
世界が確かじゃない古代には確かに存在した神のごとき権力者、それが今やほとんど絶滅
時代が進み、世界は確かになり、人間は増えて、情報の共有で繋がり
かつて遥か高くにあった玉座、その在り処は
沈んでいきました

 

 

人は、限定的かつ閉鎖的な所で今も玉座に座ります、座れます

これは誰だってそうなり得ます
私も

狭い場所であればあるほど、閉鎖的であればあるほど
人は…イキってしまうのです
訂正、つまりこう…調子に乗ってしまうのです、増長するのです
よくないね

さらに自分を止めることが出来る人間がいない場では、ブレーキも壊れますので
よくないことは更によくなくなります
よくないね

私も経験があるのですが、これは恐ろしい事なんですね

でもこれは簡単な事で予防と昇華ができます

簡単なのは…神を置くこと

 

 

宗教のヤベぇやつ

違うんです、そうじゃないんです

そうやって畏れといいますか、自分が敬うべき架空の存在を作るってことです
ヤバくない、ヤバくないよ
なにせ昔から日本人はやってますからね
いや薬とかじゃなくって

神様というのは、日本人においては唯一神のそれとはまったく異なります
八百万信仰とは即ち自然信仰
この世にあるあらゆるものに神が宿るということは全部に守られているという事
そんな事が出来る神様がいるんだー、って考えるよりは
我々を取り巻く全ての自然に神が宿ると考えるのが普通です
これを普通だと思えてしまうのが、まさに日本ならでは

それで、この「あらゆるもの」には人間も含まれます
自然のいろんなもの取り込んでますからね、生きるにあたって
であれば人間にも神が宿るのはむしろ普通と言えます

神社や神棚を戴きつつも、自分は勿論、他人にも神が宿る
だから、大事にしなければならない、自分も他人も

これですよ
自分にも相手にもこれができれば最高
でもいきなり家族や同僚を神のようには扱えない…
そもそも神様とどう接していいかわからない…
そういう人たちも、意外と普段から神様を迎え入れたりしてるんです

例えばそう、正月ですよ

 

 

ようやく本題に入れた

正月っていうのは、歳神様を迎え入れる儀式なんです

めでたい松竹梅で作った門松で門構えの目印を作って!
神様が宿るための依り代として鏡餅を置いて!
縁起のいいものを摂取して!

そうやってようやくお迎えする歳神様は!
餅を摂取する事で一年間、私たちの事を見守って下さる

いうものなんです

正月に限ったものではありません
古い行事、習わしの多くには神事が深く関わっています
神を宿す、神を抱くための行いです
何故なら、自身即ち神であり、他人もまた神だから
大事にし、大事にされなければならないんです

そして、そういう神様に恥じる事の無い生き方をしなければならないんです

 

 

なんだぁ宗旨替えかぁ?

そういうわけじゃないんです
結局神仏と日本人は切っても切り離せないということが言いたいんです
そう!「神」「仏」!
仏も正月には十二分にかかわっています!

大晦日の除夜の鐘なんて顕著ですよね

神様を迎える為の正月に向けての最後の仕上げ、大晦日!
大掃除やゆず湯などで心身さらに住処まで清めて!
そして煩悩の数である108回の鐘を鳴らして!
万全な状態で歳神様を迎えに行く…

もっと言えば除夜の鐘なんてつらいばかりですからね
寒い季節の更に深夜、厚着しても骨身に染みる寒さに耐えて、お外に鐘を鳴らしに行く
この行い自体が、これを実行しようと動く事こそが既に修業なんですよ
煩悩を追い出そうとする行いに到る心の働きが修行!
しっかり煩悩と向き合う覚悟が出来てる!えらい!

こういうことになるんですね

 

 

何が言いたかったかっていうと

人は誰しも神の体に仏の心を持ってるんですよってこと
正月ってのは神仏習合の大掛かりな儀式なんですよってこと
そんで、雲樹寺でも除夜の鐘叩きますよってこと

…最後だけは言ってなかったですけど、例年通りやります
雲樹寺で除夜の鐘叩きます
なにかお渡しできるものがあるわけでは無いのですが
でも除夜の鐘だけは叩き放題ですので、もしよければお越しください
誰でも大歓迎ですので

そうして誰もが、誰かの事を想って生きていけますように、と
願いながら、今年は有難うございました、と締めますね

 

本年の末ごろから書き始めたブログ、そして雲樹寺のサイト
来年も頑張ってまいりますので、どうぞよろしくお願いします

瑞塔山 雲樹寺
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