ゆずのせ
投稿日: 2022.01.31
真面目(まじめ)
雲樹寺の副住職、醍醐です。
写真の方で下に見切れておるのが私です。
顔出しはできるものではないけれど…見切れるくらいならまあいいか
そんな塩梅。
顔出しが怖いのは身辺情報がバレるとかを恐怖してではありません。
単純にコレを見て喜ぶ人を想像できないからなのです。
でも見切れさせるくらいなら面白さに繋がるかなとか思ってます。
どうでしょうか、こんなものなのでしょうか。
さらに柚子も載せて倍プッシュだ!!どうだ!!
大事なのは共通項であり、最大公約数だと思っています。
「ああ私と同じだな」と思えるか否か
なににおいてのそれなのか私もよくわかりませんが。
単なる奇行を繰り返すだけの人を見ても異質感しかありません
でも要所要所に「普通の感覚」から出たものがあれば、見方も違う。
厳密に思えば環境や状況、機会の有無すべてが同じか平均値であるなんて人間はいません
誰もが誰もと何処か違う。
でも、共通しているところもある
あるいは、違うからこそ共感を得られるものも間違いなく有る。
…逆もありうるかもしれませんが。
だからこそ、お坊さんだからこそ、こういうことしていきたい。
修業してえらい!普通じゃなくてすごい!
仏教って僧侶って本来そういうものじゃないはずですからね
誰かに手を合わせてもらって、ほめてもらって…それで終わりじゃないです
私たち別に偉くない、私たち別に凄くない
ただ先祖供養を通じて生命に敬意を表しているだけ
むしろ偉いのはそんな私たちに手を合わせてくれる人々
先祖供養の大事さを、命の尊さを、分っているからこそ手を合わせられる!
あるいはそのものを知らずとも、ただなんとなくの合掌でも
誰かがそう思って行っていた形が受け継がれている、この事実のなんと尊い事か。
さらに、供養の為だけに日々を過ごす我々と違い、日々生きるべく仕事に精を出す皆様が
仕事や役目の中で、生きる事に没頭し続ける皆様方が!
生命を想って手を合わせてくださることの、なんと得難いものか
これを心底感謝し、合掌や供養の行いにて返すのが、僧侶であり仏教です。
でもね、だったら…仏像に手を合わせるでも十分なんですよ
というかそっちの方が良いまである。
間違いなく過去に生きていた誰かが心血をそそいだものですからね…
そんな仏像と僧侶がマトモにぶつかって勝つ(本来勝ち負けではない)ために必要なのは
今、生きているというただ1点しかありません。
この時代を皆様と同じように生き、仏教を行使し続けるほかありません。
どうせやるなら、面白くしなければなりません。
より多くの人が見て、分っていただくために!
面白さと一緒に、生きているという事実と一緒に、仏教が伝わる!
生きているという事はそれだけで素晴らしい事なのだという話でした。
そんな理由で柚子を載せて写真を撮ったわけです。
面白いですか?
ならいいです