blog拝啓、雲樹立つ寺より

なんでもない言葉とは

投稿日: 2022.02.28


出せと言われても出ないものは出ない。風は吹く。

 

今ちょっとブログ書く前にチラッと過去の更新分見たんですよ
そしたら結構あるなって
あくまで思ったよりもってことですけど

…中身までは見れません

雲樹寺の醍醐です。
皆様はどうでしょう、過去のものとか見ます?
私は…ちょっと見れない

よく片付けとかしてて、過去のアルバムとか出てきて
思わず懐かしんでしまって時間が過ぎていくみたいな
私はそれが無いんです。
発作的にアルバムとかゴミ箱に入れちゃう。
しかし、いかんいかんと取り出して…箱に入れて…奥にしまう

それが正真正銘奥に行くように整理の手が早まるほどです

記録だから、捨てはしませんが
よく過去の自身を眺めるなんて出来ますねぇ!凄いですよ!
悪い意味じゃなくって!私はできないので!
いやホントに、私はもう…とてもじゃないけど無理です

 

 

何でそんなに無理なの、って思われる方もあると思います。
私もよく分かりません。なんか…なんかなんです。
特に深い理由があるとかじゃないのかもしれません、多分

それはさておいても

まあよく書いたものです、ブログ
おそらくその時々で何か言いたいことを綴ったのでしょう
宣伝などというよりは、そういう事ばかりだったような気がします。
なんでもないような事ばかり

しかし、実際に形に残るものを指して「なんでもない」というのも妙な話です
この世に形としてあるものの、どれもがなんと意味深い事か
とはいえ私の書いた文章がなんでもないのも事実

なんでもないのに、もはやなんでもないことはない
何言ってんでしょうか
どうしてそんなことになるんでしょうか

 

 

地面が積み重なり地層になります

樹の命が重なって年輪になります

小さな努力が束になって夢と現実は繋がります

全て、取るに足らないものの連続によって成ります

積み重ねとは、力になるものなのです。
ある種において決まりというか、摂理のようなものです
これに従うわけでもなく積み重なっていくものは積み重なり
やがて間違いの無いものとして形になる。

それはなんでもないものでも
言葉であったとしても同じです
なんでもないものだからこそ、なんでもないものでなくなるんです

 

 

ないだのなんだのと無暗に繰り返しやがって…

とはいえ、今はまだこのブログだって、ただそれだけのものです
しかし辞めるつもりもまたありません
いつか何かになるのでしょう

しかし、積み重ねた者が何に成るかは、何に見えるかにもよります
これを見てくださる皆様の心に、何かを残せますように

こんな言い方したらこのブログの価値の如何が皆様の責任に委ねられちゃう!
やばいやばい
駄文なのはどう考えても私のせいなので改善責任もまた私に在ります

積み重ねの尊さは、一つ一つの正しさに依存します。
どうでしょう、今日は正しく積み重ねられたのでしょうか
まあ…いつか分かりますでしょう、たぶん。

瑞塔山 雲樹寺
〒692-0056 島根県安来市清井町281
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