曲げてもいいもの
投稿日: 2022.05.09
5月5日に花御堂出しちゃうのは雲樹寺だけ‼(要出典)
どこまで事実かわからないこと、ありますよね
慣習、地域性、疑っていけばキリがないことです
でも全部鵜吞みにするのも…なんか癪だったりします
難しいですね
雲樹寺の住職こと醍醐はそんな中でああでもないこうでもないと考えています
答えが出るはずもありませんが
皆様のお住まいの地域は7月盆でしたか?それとも8月盆?
お彼岸はどうでしょう、ちゃんと3月?
七夕は8月7日にやっておられますか?ちゃんと天の川も見えるんです
どうでしょう、皆様のお住まいの地域の風習とあってますか?
大事なのはどちらも間違ってないということです
でもこれだけ相違点が在っても正月と大晦日はブレない…
あとポッキーの日とかもズレません
なんとなく理由が分かってくる感じですね
〇
住む場所が違うと、意外と全部違います
雪が降ったり降らなかったり
LIFEが無かったりラムーがあったり
ポプラがあったりAMPMが無かったり
カップうどんやそばの出汁の味が違ったり
当然、気候や考え方も変われば、過ごし方も変わるんです
忙しい時期や暇な時期も違うんです
とすると、それらに応じた変化が必要になってくる…
「そんな勝手なことしていいわけないだろ!」
それもまた意見だと思います。あってしかるべきだと思います
でもどうしようもないのです
だってこれらは、ただやればいい事ではないからです
流れ作業ではない…何故でしょうか
それは、死者つまりは仏様と相対する日だからです
忙しさにかまけるわけにはいかない、そう思ったのでしょう
それでいい、と当時の僧侶も思ったのでしょう
何よりも、仏様がそれで許してくれると誰もが思えたんでしょうね
大事な日だからこそ、ずらす
ずらすことを、許せる
これってそこそこ、凄い事だと思いませんか?
〇
しかし、ただずらしただけでは味気ない
雲樹寺では少なくとも、単純にずらすだけで終わりませんでした
特に降誕会についてはそう考えたのでしょう
お釈迦様の誕生日を祝うべく花御堂を出し、甘茶をかける
それが従来の4月8日こと降誕会
単純に一月ずれるんだとすれば、5月8日になるはずです
しかし雲樹寺では、これを5月5日としました
誕生仏とは、お釈迦様の誕生してすぐの姿、天上天下唯我独尊の姿
仏教の始まりであるお釈迦様の、始まりの姿に祈願するお祭が、降誕会
転じてこれは、子供の姿、始まりたるものの姿に感謝する日でもあります
子供の日と似てますね!!!!
そんな感じなんじゃないでしょうか
さんざん引っ張っといてそんなもんかよ!
〇
でもですよ、何が言いたいかというと
これくらいフランクにう考えていいんじゃないかってことです
必ずこの時じゃないといけない
必ずその場所じゃないといけない
必ずそれが無くてはならない
そんなことって本質的には、無いんじゃないでしょうか
大事なのは行いそのもの
それに伴う心の在り方
懸命に守らなければならないものの正体はそれで
最低限が担保されてさえいれば、心はむしろ楽になるのではないでしょうか
当然、いい加減にして全部ダメにしてしまうわけにはいけません
あくまで、最低限、きちんとしていなければいけません
割合で言うなら9:1でも、それさえあればいい
そして、それを守るのが私たちの仕事なのではないかと思うのです
1…
大事な1です
この1には、たくさんが含まれています
無数の積み重ね、日々の行い…我々の「僧侶らしさ」の山
生涯かけて高めるこのチリツモが、やがて次につながる1です
あるいは、これは何?あれは何?と聞かれる事に答える事が出来るか否か
大変な1なんです
だからこそ、この降誕会
雲樹寺においては5月5日に甘茶をかけて
1の前にある0にお祈りをするんです
ホントは4月8日なんですよって言いながら
どうかこの先も、0を正しく見つめながら、1を積み上げられますようにって