平和について
投稿日: 2022.07.19
平和について語りましょうよもっと
雲樹寺の醍醐は仕事が遅い事で有名
なんですよ
誠に申し訳ない…
しかし驚きます前週からまだ一週間しか経っていません
当たり前と言えば当たり前ですがね
先週からまだ七日しか経ってない!ってのと同じですからね
アフリカでは一分に60秒が過ぎています…
なにバカなことを言ってるんだと思われるかもしれませんが
同時に、それだけの濃ゆい時間だったのだろうとも思っていただければ
たぶん誰にとっても、どこかそう思えたんじゃないでしょうか
望みの通り、では無いと思うんですけど
〇
先週の月曜日、雲樹寺では
ウクライナ人ソプラノ歌手「オクサーナ・ステパニュック」様
によるミニコンサートが行われました
ホントに短い機会でして、ミニにふさわしい内容でした
でもね、きちんと心に残るものはありました
ミニの中にもきちんと残る、プロの仕業でした。凄い事です
それは歌という形でもありましたが、
流暢といえる日本語で語られた言葉の中にもありました。
概要はいうなれば平和への想いでした
「世界平和とは誰かが誰かを想う気持ちによって必ず実現される」
そういう内容だったように思います
もう一週間前だから…ニュアンスそんな雰囲気!ってことなんです
そうなんだろうと思います。そうじゃないといけません
〇
誰かを想うという事は
少なくとも自分以外の何かを大事に思っているという事なんです
大事にするっていうのは、乱暴を働く事ではあり得ません
真に相手を想った結果、銃を向ける物語なんてありません
無い…と思うんですけども
無いといいなぁ
でも相手を想っていれば、銃を向けたことで生じる結果を考えられるのならば
普通は向けないんじゃないでしょうか
銃に限らず、なんでもそうです
そういうものを向けたくなる感情っていうのは、沢山を無視した結果出てきてるように思えます
ある種の未熟さと思えます
相手を理解しようという努力と暴力は、完全に真逆に在りますので
暴力による平和とは、結果としてそのように見えるだけのものなんですね
ついでに言えば支配とかいうものも、平和を維持する方法としては稚拙寄り
ここまで言うと…じゃあどうするんだよ…って話にもなりますが
一人一人が「相手より○○」とか「むこうより○○」みたいなことを考えなければ
それでいいんですよね…
〇
要は国とか地域ごとのくくりでなく
一人一人がより深く物事を考えられればそれでいいんですよね
そんなこと普通やっちゃダメなんじゃない?
そういうのは当たり前に良くないことでは?
普通とか当たり前とか、使いたい言葉では無いのですが…
これをきちんと言える、
そして行動の先にそれがあるかどうかを考えられるようにならなくちゃならない
でもこれは凄く難しくて、一朝一夕ではなりません
少し遡れば、あの国はどうだとか、あの人はこうだったとか
許してはならない理由とでも言うものがゴロゴロと出てきて
結果、争いになってしまう
ある種において事実であるからこそ、どうにもならない
これをどうにかする為には…私たちが新しいものを積み上げていかなくてはならない
誰から見ても良い事で、悪い事足りえないような
そんな善行を積み重ねていかなくてはなりません
なんと…無謀な…
一体どれだけの時間が必要なのでしょうか
そもそも、その最初の一つを置く事すら、難しいのに
理想論に満ちた、ある種くだらないとすら思える考え
でも、そういった感情すらなく
ソプラノの歌声はただ
それをしたいと思える、そういう歌声でした
要は何が言いたいかというと、
できれば来年もソプラノしてもらいたいので、
皆さん良ければ来年も来てくださいね!
っていう話でした。
来年は夕方から夜…あるいは休日にやりたいなぁ