夏の終わりに
投稿日: 2022.08.29
たんぽぽか!ひまわりか!いいえヤブランです
花に詳しくない私こと雲樹寺の住職、醍醐です
皆様は私よりお花に詳しそうであるとお見受けしております
そんなに読者を見たことないですけども
こういう時、詳しい人ほどご謙遜されます
いえいえ私なんて、ってやつです
同義語に「専門でないので恐縮ですが」から始まる質問なんてのもあります
じゃあ私のこれも謙遜なのでしょうか
安心してください、無知ですよ
ほめられたものではない…
未だに私が区分する定義は多く有りません
「切っていいか」
「今まで切ったことあるやつと似てるか」
「いつごろから生えてたのか」
はい雲樹寺の中の事が基準なんですね
だから「え!これ前から生えてるのに切っちゃっていいの!?」
とかいう認識の浅さがたまに言語化する事が有ります
あと「え!これ昨日生えてきたやつだけど大事なの!?」
とかもあります
アミガサタケとか捩花とか突然生えてきますからね
〇
写真のこいつもよくわからなかったやつです
「ヤブラン」というそうです、調べました
蘭の仲間なんでしょうね
…えっ違うの?キジカクシ科ヤブラン属?
また知らない植物出てきちゃった
ええい勝手にしやがれ
このヤブラン、私ずっと龍ヒゲという植物の亜種だと思ってました
似てるんですよね
葉っぱがもさっとしている、実が成る、根から広がり増える、などなど
それがどうも違うらしいという事でして
自身の思い込みの激しさを改めて感じてみたり…
なんか手元にあるものだけで適当に納得しちゃいがちなんですよね
花言葉は「隠された心」「忍耐」
ですって
〇
この花言葉というもの、一応は由来があるそうです
葉の間に隠れるようにして咲く、ひかえめな花姿だから「隠された心」
耐寒性、耐暑性が強く、日陰でも丈夫に育つから「忍耐」
そんな花だとは知りませんでした
なにせ雲樹寺では正面庭のそこそこいい位置に陣取っておりましたので
というのも花言葉、日本共通のものと世界共通のものがあるそうです
ややこしい
しかしややこしいですが、逆を言えば実におおらか
花言葉というのはこれ!と決めるのではなく、場合によって違うとするんですね
日本だけを見ても他の国と違うところが多々あります
他の国々も当然、それぞれ固有の環境や事情があります
そんな中でも花だけは同じように咲いているのでしょう
なのに花言葉は違う
これはきっと、花が違うのではなく人が違うのでしょう
厳密にいえば人の心が
言葉はそもそも人のもの、操る人の都合のもの
人が違えば言葉も変わる、国ごと民族ごと、既に違っておりますし
〇
普遍と思われる全部は、いとも簡単に変わり得るんですね
人の行いも
人の言葉も
それを受け取る心も
私たちが肉体を以って来ている限りは必ず、それらに影響されて
同じ花ですら見え方が変わって来る
それをどうやって人間は感知したらいいのでしょうか
自分が持っている普通と相手が持っている普通すら、比べようがないのに
仮に大きく違っていたら、どうすればいいのでしょうか
大事なのは許すことです
許すというか…許容すること
そういうものなのだと受け入れる事が大事なのかもしれません
私たちが修行している時、その立場は「雲水」というのですが
これも、如何なる環境下においても「雲のごとく水のごとく」姿を変える為です
この場ではそう、別の場ではこう
有り続ける為に、変わっていくこと
変わる自身の在り方と、変わっていく環境を受け入れる事が
修行者には特に大事なんだろうと思っています
だから花言葉の多少の変異なんてまったくもって些細な事なんです
じゃあ例を見てみましょうか
シロツメクサの花言葉:「幸福」「復讐」
はあああああ同じ植物なのに全然真逆やんけどうなっとるん
…まあそういうのもあるか(許容)