先輩
投稿日: 2022.09.12
わたしの一個上の先輩、ええ犬ですけども何か
こんにちわ!私は雲樹寺の住職、醍醐!
こっちは先輩修行僧のラゴラ
僧…?
まあまあ
ブログを一回お休みしてしまって申し訳ございませんでした
実はこういう所に行ったりしていたからだったのです
さて何回か言っている通り、私は静岡で修行しておりました
この何の変哲もないドッグはその道場の先輩なのです
先輩という言葉は、先生という言葉よりちょっとだけ専門的
自分より先に限定的なその場において事柄に携わっていた者
年齢問わず、性別問わず、先にそこにいたものという感じ
そして究極的には…その種族すら問わない!
さすがにそこまで明言されてはいませんが
そんなわけでこのラゴラ(犬の名前)は私の先輩なのです
私が修行を始める一年前から先に修行をしていたわけですからね…立派!
しかもなんと彼の修行は今なお続いています!凄い!
いや私の修行もきちんと続いてはいるんですけども
〇
ダックスフンドとコーギーの合いの子という愛らしい見た目
そんな彼が生まれてすぐに臨済寺にやってきたのは、縁というほかないものでしょう
沢山の修行者はみんな彼を大事にし、
大事にされていることが分かるので、彼は皆に良くなつき
そして彼は誰に対してもそうするように、多くの人に愛想よく振舞っていました
まさに修行者
そうでもないと思われるかもしれませんが、そんなことありません
実に修行僧らしい振る舞いです
〇
臨済宗の修行者というのは雲水と言って
雲のごとく水のごとく振舞う事を願われます
要は場に臨み機に応じ適切な自分自身となることを求められるのです
飯を食べるときは飯を食べることに集中し
掃除をするときは自身を掃除の為の道具にするかの如く振る舞い
坐禅をするときは心から坐禅に取り組み
読経の時には全身是お経となりきる
その全てに我武者羅に一生懸命となることこそが、雲水の在り方
つまりは良い修行僧の在り方なんです
その点ラゴラは凄いんです
彼は誰に教えられるまでも無く犬らしい振る舞いを欠かさない
犬そのものなんです
どうしてそんなにいぬいぬしているのか
聞いても答えてくれません、徹底して犬なのです
100点のいぬ
〇
当たり前だと言われるかもしれませんが
しかし犬はこんなに犬らしいというのに、私はどうでしょうか
私たちはどうなってるんでしょうか
教えられ、導かれなければ修行者に成るどころか振る舞えもしない
衣に身を包み、口から経典を唱えても心は貪欲にふける
思う所は迷妄と我欲にまみれたことばかり
私たちは、そもそも人間らしく人間をしているのでしょうか
あるいはそれが既に人間らしさなのか
でもこの人間らしさを見た人間は、人間を許すでしょうか
結局我々は後から身に着けた人間らしさをそれらしく使って
ようやく人間、というより「いい人間」を作っているにすぎません
こんなことを知るべきなのか考えるべきなのかは分かりませんが
〇
要は何が言いたいかというとですね
私はラゴラという先輩ドッグと修業できて良かったと思ってるんです
心から
人間ではない仲間、なのに先輩、そして良い修行者
なぜ?
これを考えられるのは、私が修行者として在ろうと考えてる時間だけです
修業する前と後では意味が有りません
修業中だからよかった
…いやまだ修行の途中ではあるんですけども
人間の為の修行の中に否応なく在る犬
だからこそ要されるその世話を含めた工夫
面倒だな、嫌だな、そう思う事もありました
でもすべて、そういうものがいる事を許すことに繋がっていったように思います
あそこにいる誰もが、激しい修行をしながらにして犬の事を気に掛ける瞬間があった
人では無かったけれど、言葉も無いけれど
気にかけた分だけ、確かに返してくれるものがありました
誰にとっても愛される仲間であり、先輩でした
彼がいたことでしか出来えなかった修行は、かけがえのないものなのです
ありがとうラゴラ
〇
とか言ってますが
まだ別に存命ドッグです、ラゴラ
私が22の時に一個上だったので21の時のドッグ
つまりおおよそ15歳のドッグですが、元気です
よかった
この前久しぶりに会えたのが嬉しくって、こういうものを書いたんです
いやあずっと元気でいて欲しい
ちなみに名前の由来は羅睺羅
お釈迦様の実の子で修行者、十大弟子のひとり
「正しい修行を成した」とされている方です
ラゴラも正しい修行をしています
少なくとも私にはそう思えます