指談ワークショップ開催、しました
投稿日: 2022.10.17
実践的に体験中のようす
いろんなイベントを考えたりしている雲樹寺の住職です
皆様は如何お過ごしでしょうか
当方はと言いますと、タイトルにある通りです。
指談、皆様ご存じでしょうか
私はそう、隠しようも無く知りませんでした
知っているようで知らないこと、沢山あります
分かっているようでわかっていないこと、たくさんあります
こういった一つ一つを正しく学ぶことが、人生の広がりと感じます
意外、でしか無いですよね
知見の狭さを実感する瞬間なんて、どこにだってあるのに
自分はなんと物を知らないのだ!
この衝撃が自分を僅かずつ広げるのだろうと思います。
〇
指談というのは
コミュニケーションの方法です。
言語が怪しいときにボディランゲージをするように
口が開かないときに筆談をするように
耳が効かないときに手話をするように
同じように指で・・・と言っても指に限りません
この指談の世話になる方は、体が動かない方
要するに障害を持った方々ですので、動く部分が非常に少ないんです
それでも僅かながら動く箇所を活用するのがこの指談
少しでも動く部分を支えてあげて、動きを感知してあげて、広げていく
右か左か、YESかNOか、そういう所から始めていき
単純な図形や簡単な文字とすすめて
意思を発信していく手伝いを行う。
そういうお仕事なのだそうです。
〇
身体が動かないが意思はある
想像がつきますでしょうか
私は、想像だけです。
でも、その想像だって拙いものです。
コロナにやられて高熱にうなされている時、体が鉛のようで辛かった程度のもの
でも、動きましたからね。どうしようもなく私は自由でした
それすらない人の意思とは、感情とは
言ってしまえば、私の考えの及ばぬ状態です。動かない、動けないなんて
そうなってしまった時、どうなってしまうのか
想像を絶しているんです。前提から既に。考えられない状況です
誰でも、ふとした時にそうなりうるというのに
昔、「世にも奇妙な物語」でそんなドラマをしていました
棺に閉じ込められた女性の主観で語られる物語
しかしそれは棺でなく彼女の肉体そのもの、
閉じ込められているのは彼女の精神そのもの・・・
そういう内容でした
あくまで例えでしかありませんけれども
それに、五感なく意識の覚醒すらしてないので例えにしてもちょっと違う話ですけども
でも意識や感覚がはっきりしているのに誰からも気づかれないのであれば
これはやはり、見えない檻の中にいるのと相違ないのではないでしょうか
〇
我々が普段からしているコミュニケーションは、
普段からしているからこそ、大事な大事なものなんです。
そしてその大事さは、だからこそ実感しづらいんだと思います。
でも、現にこれらを失ってしまった方々がいて
それを手助けしようとしているのが、指談なんです
凄い話だと思います。
私が知ってるつもりで知らなかった世界の中で、頑張っている人がいる
そしてその行いは、間違いなく相手に喜びや感動を与えられる。
人と人とが繋がるために、人が仲立ちをしている!
生きているという事は、生かされているという事であると
実感を以って理解することができる
何より、私の想像を凌駕する苦しみを、少しでも救う手立てなのだと
この有難いものを拡げる活動を、雲樹寺でおこなえたのが嬉しくて
こうやって文章にしました。
上手く出来ておりますでしょうか
基本的に五体満足だというのに私のコミュニケーション能力ときたら
嬉しかったのだろうというのだけでも伝われば、幸いですけども