blog拝啓、雲樹立つ寺より

幸せの怪物

投稿日: 2022.11.14


イイナァ・・・イイナァ・・・ナンデワレハアアジャナイ・・・

 

そういう鳴き声の妖怪になりつつある今日この頃
皆様は如何でしょうか、妖怪になってませんでしょうか
何にでも落差というか比較対象はありますからね

なにせ今月は神在月
日本全国からこの島根に神様が集まるというのですから

昨日まで天気だったのに今日は雨
それは低気圧と高気圧のせいなんです
どこからかやってきた高いものが在るせいで今いるここが低くなる
別に低いとも思ってなかったのに、低いことになってしまう
結果として雨が降る・・・高気圧は来ただけ、低気圧は居ただけなのに
あるいは逆も有りますが

そういったわけですから
神様がたくさんいるから今の私はほとんど妖怪なんですね
私は居ただけなのですが、神様が向こうから来たので・・・

幸せを羨む妖怪を自称する怪異でありながらも住職
雲樹寺の醍醐です、どうも

 

 

でもね、こうやって見る者有りきだと思うんです、なんでも

蘭を人に例えて、誰も見ぬ山の中に咲く花の心意気を謳う詞もありますが
花を美しいと思う当たり前の心も、見る人在りきではありませんか
あるいは知ってる人在りき?
心ありき?

ただ読めば当たり前に思えるような言葉も、陳腐な普通ですらも
その時その場所にいた誰かの感情そのものだとしたら、それを感じられるのならば
我々は言葉や絵を通じて時間や空間を超えた共感を得られる事になる

心という人類共通のOSが持つ最も優れた機能の一つです

だから、二人でいる事の幸せっていうのは真に幸せなんですよね
幸せをお互いに観測し合っているんですから、間違いないですよ

幸せヨシ!(指さし確認)
幸せヨシ!(指さし確認)

それを私は見せられているわけですからね
妖怪にだってなりますよ
まともな人間ならば耐えられるはずがない!!
危ない所だったぜ、妖怪じゃなけりゃ即死だった

 

 

でも幸せって言葉が名前とかに入っちゃうと違ってしまう、というのが持論です
勝手な持論ですが
漢字の成り立ちが気になるのです

幸せって字は象形文字
「倖」っていう文字の略字です
この「イ」は人偏で人を表してますね、「幸」のそばに「人」がいる状態
じゃあ「幸」は何かっていうと「縛られ手かせを嵌められた人」です

要は幸せという漢字は
「幸せでない人を見て幸せを感じる」様子を表している
つまり自身と比べた差を想い感じる、そういう心の働きを表しているんです

何とも厳しい話
今では知ろうと思わなければ知れない程度の意味ですが
この字は原始的な人間の心の動きをよく理解しているのだろうと思えます
間違いとは言い切れない、普遍的な正しさが在る気がします

だからなんというか
この字を名前などで身に着けてしまうと
自分の幸せを遠ざけてしまうのではないかとか、考えてしまいます

わたし、下の名前は「靖幸」っていうんですけども
勝手に名前と漢字の成り立ちのせいにしてんじゃねぇよ!って話です

でもこんな立場だからこそできる事も有ります
それは・・・俺自身が妖怪になる事だ

 

 

だからこうして
あえてここから幸せな二人を観測してるんですね

私がイイナァ・・・と思うたびに観測している幸せが確たるものになる!
とまで言ってしまうのはちょっとアレですけども

しかし漢字の成り立ちはどうあれ、その幸せを幸せのままにできるのは
果たして二人だけの努力が要因でしょうか

幸せを幸せであると告げる人
幸せを維持し支える努力を支える人
幸せを華やいだものにするべく飾る人
何よりもその幸せに責任を感じ動ける人

そういった心からの願いや想いの形が
何よりも幸せという形の無いものを支えるのではないでしょうか
だからこそ大きくなる心の器が、多くの支えを受け取れるのでしょう

となると
幸せである二人の周りにいて助けてくださる人々は、不自由を被っているように見えるかもしれない
そんな様子を、ああ自分たちの為なのだと
噛み締め、受け取り、そして感謝して幸せに代えていく働きこそが
その幸せを元にまだ誰かを支えようという決意が
幸せの正体なのかもしれません

 

おお!この解釈は・・・いい感じですね!
これならば幸せという字を悪く捉えずとも済む!
「縛られた不自由な人」の有様を自分たちの為だと感謝し
いつかその時には自らもまた「縛られた不自由な人」になる

心の働きと、感謝の表明で、人は原始的な幸せから成長することができる!
私はこの素晴らしい人の心の仕組みを、信じるだけでいい!

 

これならば、落差で悲しまず誰もが幸せになれる

 

・・・!
身体が消えていく・・・
イイナァと羨むだけの私が、いなくなっていく
そうか・・・役目を自ら否定した妖怪はこうやって消えていくのか

自然に還るのか、私がいなかった時と同じように

不思議と寂しくも悲しくも無い

人を、心を

信じら

れる

 

 

 

・・・

 

 

妖怪はもういない

闇の中へ

あるいは光となって

今はただそこに在るものとなった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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