blog拝啓、雲樹立つ寺より

たまには大山

投稿日: 2023.01.22


年一くらいで大山の話する心積もり

 

雲樹寺の住職、醍醐です。
ここ最近、雲樹寺のブログとインスタ見てますという人をよく見ます。
決まって「お恥ずかしい事です」と答えております

なんて答えていいのか分からないんですよね・・・
まず「恥かしっ!」と思ってしまう事実があるわけでしてぇ
でもそれよりも「有難う御座います」を伝えなきゃですよね、そもそも
この場を借りて御礼申し上げます

有難う御座います!!

ブログを見ていただいている御蔭で私の無礼がひとつ解決したわけです
皆様はブログを見るという行いで私を救って下さったんです
そんなことある?
これって凄い事ですよ!?

これからも私を救い続けてくださいね

見るだけで救われる住職がいる
そんなブログです

 

 

さあ大山については写真こそ撮りましたが
特に触れるつもりはありません

冬の澄んだ空気で綺麗に見えたので、つい撮ってしまうのです
そしてつい撮ってしまったがために、つい載せたくなる
載せたからと言って・・・話すとは限らない!
なにせ毎年のように撮ってしまってますからね
だって綺麗だし・・・

つい、なのです
うっかり、と言ってもいい
でも、そういうものってありますよね
皆様にとっては何でしょうか

周期的に、誰に言われたわけでもなく、同じことをしがち
例えば・・・って言っても全然例が思いつきません
私にもそういうの沢山あるはずなのに、いざとなると思い出せない
だからこそ習慣なのかもですが

でもこれをやる事が、あるいは
救いになるかもしれない

 

 

他ならぬ自身の事を救うに、ふさわしいのは誰か
やはりそれは、自分でしょう

様々なトラブル、困難、災害
弱り果てた体を救いうる手段
その最適手であり最善手は、やはり自分自身にしか打てない
他人があるいは救ってくれるかもしれませんが、それすらも
心が、それを救いであると許容できたからこそ
それが救いだと、自分がみとめたからこそ

人はですね、かたくなに救いを拒むことが有るんです
変わってしまった心が、救いを受け取る事を許さないからなんですけども

でも、救いを受け取れる心は救われる
心こそが自分自身を救う
そうやって救われた心が、他人をも救いうるのです

・・・結局いつも言ってるようなこと言い出したな
まったく少ない引き出しです
引き出しの沢山付いた棚かと思ったら、棚の底が全部抜けてて
結局その棚の一番下の底板に僅かに中身が散らばるのみ、みたいな
そんな感じ

でもですよ!!!
心を救うために必要なのは、そういう変わらない部分だと思ってるんです

どんなに傷ついても、変わり果てても
変わらない部分っていうのが
習慣や癖、考え方や記憶に少しずつ残っていて
いつかその部分に気付いた時、元に戻れることがあるんです

その時こそ、心が救いを受け取れるようになるんです

 

 

でも最近は便利ですよね

こういう気の迷いじみた記録ですら、参照すると過去のものが出てくる
ホントに同じような時期に撮ってるのが分かっちゃうんですよね
人間ってそういうとこあるよなぁ

しかもホントに同じような所で撮ってる
なんで・・・?

というわけで調べてみましたが
どうも年末年始の配り物の時に撮影しがちなんですね
晴れてるときに配り終えて、落ち着いてみると大山が見える、と
繁忙期が終わった安心もあってパシャリと

なるほど分かりました
私は習慣すら・・・雲樹寺に支配されている!

これ救いになりうるか・・・?
まあいいか
今年もよろしくなぁ!大山!!

瑞塔山 雲樹寺
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