参るための道、行うための行い
投稿日: 2021.06.15
〇ブログの表紙は花で飾っていきたい気持ち、でもこの花は雲樹寺境内に咲いてたんだったっけ…?〇
三度目の投稿です
早速、毎週月曜に投稿するとか決めたはずなのに失敗しました、本日火曜日で御座います
無念
昨日夜、何かを忘れているとどこかで思いながらもボンヤリしておりました
人は忘れる生き物だとは申しても、忘れたくて忘れてるわけでは無いのだと思えます
今こうやって慌てて作業してる私にとっては、少なくともそうです
頭からそれっぽい序文をどう創り出すものか、どうオチに繋げるのか
頑張って絞り出しております
〇
宗門安心章というお経
全部で三つに分かれたこのお経の二つ目の一部分
「たまたま信心起こせども、自身仏と知らざれば
ただ徒に狂奔し 傍家波々地に 仏を求め
法を求めてやむとき無し
あわれというも愚かなり」
こういう一節が在ります
「なんかいい話聞いて信心を得た気になってみても、大事なことが分かってないと
目に見えぬものを追い掛け回すだけの、無駄な時間となってしまうよ」
大まかこんな訳でどうでしょう
…どうなんでしょうか
はい!異論受け付けおわり!あとはそういうものと仮定してお読みください!!
三日坊主っていうのもそうですが、形だけを求めた結果に思えます
軽く撫でたような感覚で全部を得た気になって、実際の取り組みはおろそか
実によくある話
真面目に見える時間が一瞬になってしまうのも致し方なき事
つまりは心(しん)が燃えてない
雲樹寺では未だに風呂を薪で沸かしておりますゆえ、燃やすことについてはよくわかる
要は表面だけが燃えてるんですな
火を纏うその見た目だけは派手なのですが、大したことじゃない
芯に火が付かなきゃいけない、芯から燃やさねばならない
芯が燃えれば全てが燃える、その質量全てが炎となるんです
そして真に燃えるというのに火は伴わぬものです、熱だって本来目に見えない
真ん中に火が付いた状態、これが大事
翌朝でも熱い風呂に入れます
…何の話をしてたんでしたっけ
〇
つまりぃ………
仏教の教えってのを皮膚じゃなく骨の髄で理解して初めて
ホントの信心なんじゃないか
「知った」ことを「納得」し「理解」し
そして日々の生活の中で教えが浸透していき
「初めから自分はそれを持っていたことに気付く」
ことが大事なんだという話です
仏心で燃える!!心が燃える!!!!
でもコレって凄い時間と心の動きが必要な事なんです、本来
前述の火も芯まで通るのに時間がかかるからこそ難しい
中にはすぐさま気付いて悟る方もあるらしいとは聞きますが…
一足飛びや飛び級を狙うバクチのようなものではにですからねぇ、修行って
ぼちぼちがんばっていかねばならんわけです
まず一歩
そして次の一歩
さらにもう一歩先へ行くために…一歩
同じような事でも何でも、とにかくやらねば話にならない
三日坊主でもいい、まずはそれでもいい
なんか逆の事のような結論に聞こえますよね、これで大丈夫?
大丈夫大丈夫
でも、私が思うに…始める事、始まることは大事です
火が付いたなら、燃えられる
燃え方は自由です
いつか気が付いたときに、消えたような火はまた燃える
休み休みであっても、修行し続ける事
生き続ける事こそすなわち、感謝に触れる事
感謝に触れることこそ、気付きに近づく何よりもの近道です
〇
だからね
遅刻してでもブログ書くんですよ
言い訳かよ………
でも書く
ブログ、大事
ブログっていうか、話す事
自分の考えや内心を話すことで放つことができる
形を取った私の内心を、私自身が見て、私に影響を与える
であればこのブログは、私自身の行動的な坐禅
私に為を与える、私の成長日記になる
燃える火を私の人生に例えるならば、これを記す行いは火に息を吹き込むのに似ています
私自身がよりよく燃えていくために
現にそう、ご覧ください
勢い重視で書き込んだこの内容
これがwebに載る!
この事実だけで顔から火が出ます、なんと未熟な駄文なのだよ、ええ!?
はい、
私の顔だけ燃えてる状態をご覧になりたい方はありますか?
実際に会って私にこのブログの話をしていただければ、すぐです、良く燃えます
どうぞからかってやってください