えらびとり
投稿日: 2023.07.18
まめ子(仮名)の初おたんじょうび
みなさんは「選び取り」って知ってますか
私は知りませんでした
そんな私は雲樹寺住職の醍醐
まだ赤子を手にしていない半人前・・・
とはいえ「選び取り」だけだと単にそういう動詞ですもんね
なんのことか分からぬ方もおられるでしょう
どうも、赤ちゃん様の将来を占い夢を馳せる為の行事のようです
まずハイハイできるようになった赤様を用意しまして
ちょっと離れた位置に様々なアイテムを並べて
その中の何某かを選び取らせるというもの
例えばそろばんなら計算が得意になるとか
例えば楽器なら音感がさえわたるとか
例えば金銭ならお金に不自由しなくなるとか
要は、この時手に取ったものを見て御赤様の将来に夢を馳せるわけです
この前それをやったんです
私のじゃなく、妹の赤ちゃんでやったんです
なんでも先駆者は偉大だな!勉強になる!
〇
妹は何処でそういうのを学ぶのか、やたら詳しくってですね
せいぜい七五三くらいしか知らない私と違って、まあいろいろ!
忙しそうだな、って考えちゃいますが
ですが、そういうことをしたい!と思える感情が有るんだろうと思えます
対する私がですね、ちょっと冷めてる感じ
ええ・・・そんなことする・・・?くらいの
どこか消化試合的な恒例行事を想像していたのでしょう
やればいい、やっとけばいい的な
ですがやりたいことがある人を支えるのはやぶさかではない・・・
箇条書きすると良くない姿勢だな!!!
今回の選び取りも「どうだか」みたいな感情でいたわたくし
実感が無いからこその傍観者感覚
そんで実際にやってみると・・・楽しいものですね!
こんな感情があったのか!とも思えましたが
ただこれだけ・・・赤ちゃんがハイハイで向かっていく様子だけなのに!
すっごい応援したい気持ちになっちゃうんですよねぇ!
終わってみると、手に取ったもので何に成るのか栓無きことを想像したり
それでさらに食が進んだり!
なんだかポジティブばっかりの会となりました
想像以上、っていうか想像外でした
〇
これはもう、恐ろしい事ですよ
世の物事をつまらなくしているのは、自分自身なんですよ
まったく面白くない事ばかりだ、なんて思ってる心の方が歪んでるんでしょうね
さんざん分からされている錯覚ですが、改めて、やはりそうなのでしょう
もうこれ何回目の感覚だよ!まったく覚えの悪い心だよ・・・!
恒例行事的消化試合感なんてのは全く心の不具合そのものです
大事な行事、去年もやって今年もやる積み重ねの一環
「つまらない」なんて心持を持ち込むのがそもそもの歪!
赤ちゃんなんて可愛いのはわかりきっている事ですのに
それに関わる出来事なんてどれも大事であるはずなのに
どうして心は勝手に冷えているのか
勝手なものか、私の心は私のものだ、失われた熱も得られぬ熱さも全部・・・
結局は、一瞬一瞬を生きる大事さを説いておきながら、自分がそうなれてないのです
心が亡くなっているかのように・・・
ですが「心を亡くす」と書いて「忙」、この忙しさをいいわけにしたくはありません
忙しいのも御蔭様、私だけの努力で忙しくはなれませんし、忙しいのは有難い事
やるしかありません
鍛えるしかないのです
〇
鍛えるとどうなるのかというと
こういう赤ちゃん様のイベントにももう全力ですよ
楽しむためと、楽しませるために全力
そうなります
そもそも、なんで最初からこれができないのかというと
楽しい!楽しくなる!という事実を知らないからなんですね
経験していない未知に好奇で向かっていく心は、ちょっと前から持ってない・・・
ですが知っている事には工夫して行けますよ!
なんかたぶん、わたしはそういうものなのです
雲樹寺の諸行事に対してもそうです
やったところで誰も喜ばないから、適当にやろう、でなく
素晴らしい意味が有るから、みんなでやろうぜ!って
知っているからこそ言える、表現できることを皆に伝えたいですね
赤ちゃんの行いは素晴らしい・・・いるだけで笑顔が広がる
私はなれるでしょうか、そのように
当たり前に笑顔を齎せる存在に・・・
高望みしてもどうしようもないので
今は忙しいのだけ片づけていきましょうかね