blog拝啓、雲樹立つ寺より

秋がやってきた気がする

投稿日: 2023.10.08


今は萎れつつある彼岸花ちゃん

 

秋がやって参りました
そんな気がします
皆様はどうでしょうか

私こと雲樹寺住職、醍醐はと言いますと秋を感じております
人間にとっての快適な温度とは22度前後!
ここ最近は非常に気分も良く過ごしやすいですね!

なにせ私、暑がりでございますから
とはいっても三十度以下とかならまだしも四十度近くとか
そういう次元では暑がりも寒がりも無い気がしますね
でも汗っかきの私が汗を拭く必要のない日が続きます
夏は終わったと、そういって過言ではないでしょう

とか思っていたら不意に三十度近くなったり

 

 

三寒四温、なんて言葉は春の事を指すそうですが
逆なら四寒三温とかになるんですか?

一雨一度とか
露往霜来とかいうことばもあるようです

そも三寒四温が春になりゆく冬の季語だそうでして
上に在る一雨一度は雨が降るたびに秋が深くなることを表して
露往霜来は霜が降り始める・・・冬になりゆく秋の言葉だそうです
有るものですね、時期を表す言葉

昔の人が変化に敏感だったことを思わせます
今を生きる私なんて鈍感そのものですからね
だいたい未だにTシャツ短パンが私服なんですからね
季節感が無さすぎてダメですよ
ああー寒くなって来てる気がするーあああー

秋とは?
秋の定義とは?
そんなことから調べる必要なんかなく
思えば、感じられればすぐにでも季節は変わるんです

 

 

諸行無常
なんてのは仏教の事をやってればいつでも聞ける言葉ですが
私の師匠、静岡におられる方の師匠はこれを「現象」の言葉だと言っていました
つまるところ、心の介在しない事柄であると

なるほど、物事はすべて移り変わりゆく、ただそれだけ
これだけを言い現わすにおいては確かに心は不要
葉は落ちるし、命は死ぬ
そんな普遍的な摂理を、では心が見るとどうであろうか
心は、これを見てどう思うのか

佛教の世界はずるい言い回しが有って
さんざん心にあるコレを外せとか無くせとか言っておいて
いざ「取り除きました」と言ってみると
「では取り外したものを見せて見よ」なんて言われちゃう

見せようはずもない心
見せられようはずもないもの

しかし、在る

嬉しいだとか悲しいだとか
いわば諸行無常であるだけのものを寂しく感じるだとか
この、感じる、という気管が
肉体でも機械でもない何かが、実在している

単純な事実を
しかし「知っている」以上のものにするのは非常に難しい
この先を目指すのが、仏教なんですね

 

 

だから変化の兆しを感じられるっていうのは、大事なんです

この前の雲樹寺ナイトマーケットも秋の最中でした
その前は夏の最中
その前は春の最中でした

おいでいただいた人々の服装や売れるもの
店の人たちや夜風の温度
全部がそれを教えてくれていました

おかげで私の妻と母は風邪をひきました
変化の兆しに食われたか・・・さもありなん
しかし、体調が悪くなったというのはこれ以上なく季節の移り目の中に在る
兆しそのもの!
彼女らはまさに、実在する秋なのかもしれない
治ったそばから秋服にチェンジしていることからも明らか

私?
未だにTシャツ短パンの私はそう・・・
夏に置いていかれ、秋に追いつけず
もしかして心と体が死んでいるのか?

死ィ~(個人ブログらしい自由な表現)

瑞塔山 雲樹寺
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