お笑いの寺
投稿日: 2023.10.17
九月二十四日 春風亭柏枝 師匠
十月十四日 笑福亭智丸 師匠 & 桂 弥っこ 師匠
雲樹寺でもお笑いの日が有ったのですが
皆様は如何お過ごしで御座いましょうか
私こと住職の醍醐はというと、この数か月の繁忙の一段落により体調を崩しておりました
崩しながらも物事をこなさねばならぬのがオトナのつらいところ
昨日(十月十六日)にぐっすり寝ましたからもう大丈夫です
一般的にお笑いの日とは…と言いながら調べようとしたんですが
これテレビ的なものの創作なんですね
メディアの力…
でも笑いっていうものの効果をよくわかってるが故ですよね
いいんじゃないでしょうか、お笑いしていきましょう
人生に笑いを!
〇
ですので当山でもお笑いを取り入れまして!
と言ってもほとんど偶然でしたが
落語会をさせていただいたんです
偶然というとアレですが、要は御縁です
今年の未だ寒い頃、ちょうど大雪の前後
同じ島根県だから、という理由で営業に来られたのが桂弥っこ様
ちょっと先の話になるけれど、という計画でしたが
ウチとしては反対する理由がないくらいのものでしたから
二つ返事でお願いしたわけです
そして時が経ち、未だ暑さが本格的にならないくらいの頃
西光寺という近所(33㎞先)のお寺様から打診が有りまして
チャリティ落語に参加しないかというものでした
せっかくお呼びして島根に来られるわけですから複数を回りたいとのことで
まあ反対する事でもないし是非ともお願い…ん?
前もこんなことあったな
というわけで落語と落語がかぶってしまったわけです
九月二十四日と十月十四日…一月も間を空けない過密ぶりで!
…まあ反対するような事でもないしいいか(三回目)
〇
瞋拳不打笑面(しんけんしょうめんをたせず)
という言葉が有ります
感情のままに振り上げられた拳は
純粋な笑顔を持つ者を打つことができない
っていう意味です
瞋っていう文字は「眼」に「真」の旧字で
なんかすごくいい感じの言葉に見えますが
感情をそのままぶちまける、という意味合いの漢字だとか
そして純粋な笑顔というものは、子供のものです
あるいは子供のような純粋さを持つ者の笑顔のことです
笑うものを殴ることはできない…人間らしさの話です
しかし私はそれ以上の意味もあると思っていまして
なにせこの「瞋」の字が、二人称的であると勝手に思っていまして
つまり誰かのそのような感情的な様子を見ているような雰囲気だと思ってるんです
であれば、感情のままに拳を振るモノは…複数であってもいいし
何ならもっと人間でないもの、不幸という概念や危険そのもので在ってもいい
そんなものであっても、弾き飛ばすことのできる笑顔の力!
向こうから遠ざかっていかせられる力!
笑顔にはそんな不思議が実在している!
という言葉なんじゃないかなとも思ってるんです
しかし、大人になるほど社会性を得るほど、笑顔というか表情は道具になります
制御されたものは純粋足りえません
ではどうするのか
助けを借りるほかありません
笑顔を作る技術と文化!
日本には少なくとも、未だにずっと残り続け、生きている!
ならばこそ、お寺でこそ発揮されるにふさわしい
笑顔は人間のためにあるのですから
〇
こんな考えを以って開催された雲樹寺お笑いの日
結果から言うと…成功ではありましたが!
参加者の数という点に反省点が見いだせるものでした
要は観覧者少なすぎ問題
私としては100人以上集まると思っているのですけれどもね!!!
しかしお笑いは得られたのかという点については大満足!!!!
さすがは歴史あるお笑いの伝統芸能です!
人さえ集めれば成功は大成功に、大成功は超成功になる!
みんなお笑いに興味無いのかな?
いやそんなわけはありますまい
きっと私の宣伝広告力や企画力に問題がある
反省点は山ほどあるということ
伸びしろも凄いってことだぁ!!!
これは楽しくなってまいりました
まだまだできる事、やらねばならぬことを拡げられる
やはり生きる事、もがくように前に進むことを止められはしません
止めるべきでないともいえる!
また同じようなことをするにあたっては
皆様方どうか御協力をお願い致します!
また重ね重ねではありますが
春風亭柏枝 師匠
笑福亭智丸 師匠 & 桂 弥っこ 師匠
御來山誠にありがとうございました!!