祭典の襲来
投稿日: 2021.07.26
開会式の前々日に、開会式の前日のつもりで書きました
オリンピックです
ついに来ましたね
これを書いているのは写真のコメントにあるとおり
つまり7月21日
浮かれているようにしか見えないこの図柄
しかし、思うところもありながらの作業でした
だからではありませんが、二時間かかりました
単純に手間のせい
果たして私はこの機会に賛成しているのかどうか
それがなんというか、私の中で微妙だったんですね
結局のところ島根
どうあっても山陰
東京で起こっている何がどうあっても…
そういう心持もありますが
何よりもまあ、反対派の人々の声
確かに、と思えるものだったり、あるいは…
とにかくそういう声
確かに大きな祭典の大きいが故の側面であると思いました
〇
このコロナ禍において
雲樹寺は努力と準備を頑張ってきました
しかしやればやるほど、見えてくるものもあり
見えぬものもあり
果てしない時間が必要だと分かりました
迷いながら続けていくのだと思えました
ある種の諦観
会議一つ、話し合い一つ
どんなものにも視点の違い立場の違いがあり
それゆえ誰もが迷い苦しむ…
だというのに!
悩みは一向に減らず増えるばかり
なのに刻一刻と期限は近づき
見れば…解決しておくべき課題が再燃する始末!
じゃあ止めよう、再延期しよう
あるいはそれも正しい
〇
白雲抱幽石(はくうんゆうせきをいだく)
という禅語があります
例えれば富士山のような雄々しく巨きい岩塊
雲海の中にそびえる様子
まるで白雲を突き抜けるがごとし…
ですが、見方を変えれば…雲に抱かれているようにも見える
ただの景色の話です
しかしこの通り、二通りの考え
どちらが正しいのか?どちらも間違っているのか?
否、心の動きに正解なんてありようはずもない
その二通り…あるいはもっとたくさんの心の在り方
これら差違を認め
そのうえで尊重し
大切に敬う
この禅語はつまり、
幽石を抱く白雲すら抱く
そういうものを目指そうという言葉です
〇
考えてみれば
私が苦しいだけの話じゃないんです
皆が苦しいはず
その中でこのスポーツ選手というものの苦労
まこと測りかねる
なにせ分らぬのです
私たちとはまた一線を画した場所で戦っている
でも分かることもある
ふざけて、いい加減な態度で
そのような態度でたどり着ける場所ではないというものです
オリンピック選手なんていうのは
そんな彼らが最高に輝ける場所が一年延期となった
なんと、心中お察しします
その痛みも、あるいは彼らだけのものじゃない
コロナ禍の社会はあらゆるものを取り上げました
無くし、遠ざけました
この痛みを知る人は多いはず
そんな中で行われるオリンピックが
他を押しのけるようにして開かれたそれが
ずるいでしょうか
不公平でしょうか
どちらかが大きいから?儲かるから?人が多いから?
努力の成果がセンセーショナルだから?
あるいは…何でしょうか、まあなんでも
しかし、否
揺れ動く物事の在り方に、正解なんてありようはずもない
今上で言った全ても、別の角度から見れば変わりうる感覚
白雲は、幽石の全てを包んでいる
〇
疑念や疑問を抱きつつ…
そんな私も開会式を見たわけです
その様子のまあ楽しそうな事
出場者が絞られるから意味がない大会になるとか
観客がいなくて儲からないから無駄だとか
多分どうでもいい部分なんじゃないかと思えました
世界中から集まった人々が、あんなに笑って
感謝や喜びをアピールして
ベストを尽くして
それがたとえ演技やポーズだったとしても
別に、いいんじゃないでしょうか
きっと何かが有ります、このオリンピック
いい事も、そうじゃないこともたくさんあります
でも間違いなく、誰かを支える事に繋がります
過程から工程その全てを
良いものとしてとらえているひとが多くなかったとしても
始まってしまったからとかそういう理由じゃなく
今は楽しんで見て、応援しようじゃありませんか
きっとそれが何よりなんです
地球の反対側のような遠さの東京の
楽し気な空気にあてられて
私もそういう風に今と向き合おうと思った
そんな個人的な話です