謹賀新年2024
投稿日: 2024.01.07
大晦日の除夜の鐘を叩いている時の写真とメッセージ
あけましておめでとうございます
旧年中は大変お世話になりました
今年もどうぞ宜しくお願い致します
例年のご挨拶をしております
雲樹寺の住職の醍醐です
ブログではちょっと遅めになっておりますけども
そこそこの忙しさでございましたのでご勘弁
今年は辰年、辰年は私の生まれ年
そう私は今年で36歳となるのです
あと何回こういうことを繰り返せるのでしょうね・・・
そして次の48はどういう年になるんでしょうね・・・
とみに今年は新年早々に日本が大変でしたね
というか今なお大変です
大地震・・・空港事故・・・火災・・・
このブログが皆様の目に留まる頃には落ち着いてるといいのですが
〇
辰年っていうのが龍とイコールなのはちょっと変ですよね
ぜんぜん漢字も意味も違うじゃないですか
なにがどうなってドラゴンなんだよ
となるのも当然、ドラゴンの方が後付けだそうです
もともとは植物の成長過程の象徴だった十二支
種が芽吹き、芽が伸び葉をつけ、花実をつけ、枯れていき種に戻る
一つ一つの過程に一月ごと充て込まれたのが元の十二支
これが分かりづらいので動物の姿を当てはめられたのが今の十二支
しかし、適当に入れたわけでは御座いません
種は小さいので鼠、そこからの成長の早さを猪・・・というように
それっぽい動物をあてはめているんです!
じゃあドラゴンは植物のどの状態なんだよ、といいますと
「成長し伸びきった植物が次の変化にうつる支度」ですよね
要は固まった土台から次へ行くステップですし、土台が頑健になる様子
人間に表せば、まさに成長の最終段階!飛躍の年に例えられるんです!
その凄まじさたるや、一般の動物には荷が重かったほど!
だから架空の生き物である龍が当てはめられたんですね
そういえば龍は元々インドあたりの蛇神ナーガから来ています
ナーガが水の神だったこともあり、中国や日本の龍にはそのまま水の相が与えられました
欧米によくいる火を噴くドラゴンは、自然に起きる山火事の原因とされた架空の生き物だそうです
つまりちょっと別物なんですね
なんかつい最近もこんなこと書いた気がする・・・まあいいかぁ!!!
そんな龍の特徴とは、前述の通り水の化身
ある時は川の流れのように、ある時は雲の浮かびのように
ある時は降りしきる雪や氷のように
更には、如何なる時も空気中に含まれるようにそばに在る
応じて変わる、という存在のようです
〇
量子力学的に言えば、あらゆるものは存在していて、存在していない
この考え方っていうのは実に仏教的、禅的です
より正しく言うのであれば、この両極端な100と0は
背中合わせのように近しい状態にあるというもの
全ては揺らぎの中に在る
とかなんとか言ってたら地震が来てしまったわけです
物理的に揺らされたわけだ
でも私たち、山陰にはさほど被害はありませんでした、無傷!
と思っていたらそうでもなくって
境港のフグ養殖が津波に当たって大変だそうです
私の主観では無傷だけれど、山陰というくくりの中で我々は被災者です
正月の午後、大晦日の片付けの最中
震度3の揺れをさっぱり知覚できなかった私は、それでも被災したのかも
正月の楽しむべき時間、しかし山を越えた先では甚大な被害
じゃあ正月じゃ無ければよかった?せめて明けの一月末?
もうちょい時期をズラせばもっとひどくても良かった?
そんなわけがない・・・そもそも地震が起きなければよかったのです、が
ならば地殻プレートの歪みに交じり込んだ水分は何処に行けばよかったのでしょう
地熱やマグマなどの流体は物理現象をどう解決できたのでしょうか
どうしようもない・・・全て、なるべくしてなった
天罰とか、そういうものじゃない
単なる摂理、世の決まりごとが、これを起こした
幸せだったはずの時間、生きてるはずだった人々、綺麗だったはずの街並み
あるはずだった全ては、無くなったという事実の中にある
ふわふわと浮かぶように有った全ての可能性は
水に濡れた埃のように今は固まってしまいました
しかし固まってしまった過去が有るからこそ
今を生きる私たちは、応じて変わるべきなんです
〇
とはいっても
被災したんだかしてないんだかな島根から
大慌てで石川県に飛んで行っても、そういう迷惑になるだけ
実際に飛んで行けるならまた話は違うんですけども
難しいですよね
有難い自衛隊の皆様方がようやく現地に入られて
可能な限りの安全確認と道筋の確保をされています
そこから本当に必要な専門家や特殊な技術者から提供されるものが在り
被災地の日常というものが形作られてようやく
私たちみたいな者でも手助けができる場がようやくやってくるんです
まだ先ってわけですね
今私たちが出来る事は
被災された人々の心細さに心を痛めながら
正月を過ごし切り、仕事を始め、経済を回しつつも
来るべき時まで待つ他ありません
いまはただ、有難い日常そのものに感謝をしながら
雲のように水のように
龍のように
待っていましょう