お盆2024
投稿日: 2024.08.18
お盆の夜のようす、20:00近いけどiPhone越しだと明るい…
お疲れさまです
お盆している雲樹寺の住職、醍醐です
皆様はお盆されてますか
私はまあぼちぼちです
盆ぼちぼち、ぼちぼち盆です
さてお盆と言えば何でしょうか
地域によってはお盆野球、あるいは甲子園の観戦
里帰りを兼ねた旅行、関係ない旅行
偶の休みに自宅でのんびり、というのも在りえるでしょう
もう他には思いつかないですね
発想が貧困
というのも無理もないこと
私が知ってるお盆というのは忙しいもの…
忙しさ以外が有るお盆というのを私は知りません!
そうお盆というのはつまり…仏様が帰って来る日の他に有り得ません!
〇
とは言いますが帰って来るって何なんですかね
一体どうなっているんでしょうか
そんなに簡単に行ったり帰ったりしちゃっていいの
実は元々は、仏様が帰って来る日ではなかったようです、お盆
起源とされる説は沢山あるお盆…盂蘭盆は
いろんなものと混ぜ合わさりながら日本にやってきて
もともとあった先祖供養とも合わさり混ざって
更に日本独自のものとして拍車をかけた文化です
祖霊信仰を受け入れやすい土台になった考え方はゾロアスター教から
よく聞く「お盆の時期には地獄の窯が開く」っていう話は中国から
盂蘭盆(ウランボン)という呼び方や語源はサンスクリット語圏から
野菜で馬と牛を作るような感じのものはラオスとかにも似たようなものが在るとか
花火や七夕も、実はお盆のための行為から派生したものだったり
とにかくお盆というのは、沢山の紆余曲折の後でここに在ります
皆様の近くにあるお盆もそうです
凄いですよね
で、仏様が帰るだの帰えらんだのなんだの、そもそもお盆って何なのというと
要するに、やさしさだと思います
「仏教僧の夏安居の終わる旧暦7月15日に
僧侶を癒すために施食を行うとともに、
父母や七世の父母の供養を行うことで
延命長寿や餓鬼の苦しみから逃れるといった
功徳が得られると説く」
(wikiから抜粋)
ですって
こういうことなんですよ
夏の暑さに対する心遣いとして始まったお休みの時間に出来た心の余裕を
改まっての先祖供養に用いたんです
やさしさが、やさしさを呼んだんです
〇
仏教僧にとって、学ばなければならないことは多岐にわたれど
そもそも信じていなければならないことは、少ないです、3つだけ(諸説あり)
三宝とか言われるものの中身は「仏」「法」「僧」(諸説あり)
これだけです(諸説…はいいか…まあこんな考え方もあると思って読んでください)
特にここで大事なのは「僧」でして
仏様と仏教を信じる人の事を「僧」と呼ぶのですが
いつまでが「僧」なのでしょうか
共に勉強を続けている間でしょうか
修行仲間である間だけでしょうか
近くに住んでいればでしょうか
生きていればいつでもでしょうか
じゃあ、死んでしまえばそこでおしまいでしょうか
そんなのは寂しいですよね
同じものを信じ、目指していたことがある者同士の縁は、ずっと続くものです
いま仏教徒として生きている自覚が無い方も
亡くなってしまう機会には、仏教式の葬儀で弔われます
仏教の世界に触れていたのであれば、やがて仏様に成る身だからこそ
長い時間の何処かで、また会うこともあるであろう命だからこそ
同じ「僧」だからこそ
かつて隣り合うようにしていた者の事を想う
そもそも想うことが出来るような縁が有ることを、有難いと思う
でも普段は忙しい最中、改まることができないので
あえてこの時間この時期を、その為に充てる
全ては、今のやさしい時間で、かつてここにいた人を思い出すため
転じて、それが今の自分自身を善くしていく行いになるのです
どうか皆さま、手を合わせていただければと思います
〇
だからこの時期は忙しくなるんですね
とまあ理由付けにはなりましたが
私たちがこの時期に暇が無くなるのは本末転倒なのでは?
これは…納得できない雰囲気が一つ増えてしまいましたね
しかし考えてみれば
仏道修行に尽くしている(ということになっている)我々が
普段はそのような時間すら持てない皆様の為に奔走するとあれば
あるいは普通というか、道理のような気もしますね
じゃあ仕方ないかなぁ!
というわけで皆様方は好きに過ごしてやってください
供養はまかせろ!